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歳月は人を待たず 11月7日 [日記]

 

帝国化成跡地の前の土手にて、古田夫妻

 

 今日は昼前に昨日「沖縄料理ツアー」で熊本から来阪した、私の親友の古田夫妻が家に立ち寄った。会うのは私の結婚式以来だから10数年振りである。

「会社に居た頃、森はよく仕事を休んでいたな。何でと聞いたら、体を壊したらあかんやろ、そう返事していたなあ。とにかく森はマイペースだった」当時、田舎者の集まりみたいな集団就職で、他の仲間は、昼間の仕事を終えてから夜学に通っていた。私だけがのんべんだらり?仕事も休んでばかりだったらしい。

 古田は大学を卒業して、1級建築士の資格を取り、数年後に熊本の荒尾市に帰っていった。私は奨励会の頃、正月になると古田の実家で1週間くらいお世話になった。朝起きて朝食、昼までボンヤリして昼食、近くをブラブラして晩酌つきの夕食、今考えると申し訳ない待遇をしてもらっていた。古田の家は当時、豚を飼っていたが、私は手伝うわけでなく、居候をしていたわけだ。新婚のときも一度厄介になっている。

 仕事の話や昔の思い出話をしながら、会社にいた短い間の付き合いだったのに、今もなお大きな太い線で縁を持っているのは、親友の有難さを痛感する。

「森がいると場がなごやかになって、その頃から弱いものにやさしかったなあ」昔のことで何が出てくるのかヒヤヒヤしていたら、お世辞の下手な古田の誉め言葉だったので、ほっとする。古田もどちらかいうと不器用な人間で、仕事はできても金儲けのヘタな一本気なタイプである。「仕事はぼちぼちかなあ」奥さんが苦笑する。

 35年も前の話だが、記憶の糸を辿っていくと、うっすらと当時のことが蘇ってくる。

「入社のとき、ひとり来ないのがいて、それが森だった。電車を乗り間違えて、初めは変な奴だなあと思ったなあ」私の社会人デビューがそれだった。「森とはヒッチハイク、サイクリングでキャンプ、よく遊びにいったなあ」伊丹から京都の比叡山まで自転車で行ったこともあった。ウマがあったのだろう。もうひとり山本を加えて仲良し変わり者3人組だった。山本は寮でウサギを飼っていたり、週末になると高松からお母さんが世話に出て来たりで、甘えん坊の人見知りタイプだが、付き合ってみると信頼できる男だった。

 山本のところにも帰省するときに、何度か立ち寄ったことがあって、どうも私は居候が向いているのだ。

 伊丹の帝国化成跡地に立ち寄る。工場も寮もなくなって、跡地も無くなっていた・・感傷的になったわけではないが、時間の過ぎ行く現実に立ち尽くす。35年の歳月を経て、今の自分がここに在る。風景はすっかり変貌して、お互いの環境も変わり、それぞれの年相応の人生の局面を迎えている。

 猪名川の土手に立って、工場跡や空港の眺望を見下ろしながら「歳月は人を待たず」そんな実感がした。

古田夫妻を見送る。「森に会って、活力をもらったよ。」それは私も同じで、古田のたくましいエネルギーを分けてもらった気がする。わざわざ訪ねてきてくれてありがとう。

「今度ルンルンさんと一緒に熊本に遊びに来いよ」

2006-11-07 00:45 

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