勤勉と遊蕩 [日記]
昨日の夕方、大阪梅田の風景
今日は午前中、伊丹子ども教室があった。伊丹将棋センターはまだ休業中だが、月2回の子ども教室だけ開いている。席主の梶井さんの復帰はまだ先になりそうだ。今日も問い合わせの電話があったみたいで、将棋が指したくてムズムズしている人も多いみたいだ。もう少し待って下さい。
終わって帰宅して、昼食を済ませて、関西将棋会館に行く。今日は午後から詰め将棋の会「老麒会」があった。体調不良などで休みが多かったが、元気いっぱいのSさんがいて、楽しい雰囲気だった。詰め将棋やら、Sさんが応援している演歌歌手?の話題で盛り上がる。
会の後でTさんと近くの喫茶店に入る。「ルンルンピアノ、楽しいですね」私の日記でなくてルンルンファンだった。やっぱりなあ。詰め将棋の話題も尽きなくて、時間があっという間に過ぎる。詰め将棋のあれこれ話はいい刺激になるのだ。電車の中で居眠りして、清荒神に着くと、以前住んでいたマンションの知り合いの人が二名乗っていて挨拶する。
帰宅して、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」を聞いて、喫茶hiroに行く。最近は土日の仕事が終わると、ようやく私の週末で、明日から休みだ。(といいつつ連日、あちこちうろついているが)
駅売りで「SANKEI,EXPRESS」に掲載されていた阿久悠さんのエッセイを読む。”勤勉と遊蕩の値打ちがいつのまにか逆転し、真面目の生き場所がない”という題名だった。
”男の価値の中から、懸命に仕事をする、仕事に一生を賭ける、仕事と生きるとを同意義とする考えが、全否定されるようになってしまったのだ”
懸命に生きた人が愚弄される時代になってしまったが、”面白おかしい仕事なんてあるものでなく、野暮を承知で生き甲斐に高めたのが、これまでの日本人、これを嘲ったら冬のキリギリスになる”で締めくくってあった。
遊蕩が天下みたいな風潮への警鐘か、いすれにしろ、阿久悠さんの今の時代への怒りなのかもしれない。野暮でけっこういいじゃないか、考えると頭から湯気が立ちそうになった。
長崎にて
阿久悠さんの作った歌で私がよく聴いたのはなんと言っても沢田研二の歌でした。
聞きわけのない女の頬を ひとつふたつ張り倒して
背中を向けてタバコを吸えば それで何も言うことはない
ボギー ボギー あんたの時代はよかった
男がピカピカのキザでいられた
ボギー ボギー あんたの時代はよかった
男のやせ我慢 粋に見えたよ
(「カサブランカダンディ」より)
この歌は30年ほど前の歌なんですが・・・なぜか既に現在の男たちの
情けない状況を危惧しているかのように感じられますね^^
by minorin2 (2007-02-26 04:11)
頭から湯気ですか!
放蕩は際限のない欲望刺激の環境下では、惰性の一つでしょうね。
苦役の労働を科学技術で自動化し大部分が機械作動に置き換わりました。逆に手や頭をもてあまし、何かないかとどんどん便利で刺激的な方向
に無節操に拡散して、それで自然環境悪化や自分自身の混乱を加速しているのが実態ではないでしょうか。
その一方で、生存基盤を含めた社会環境の異常性が目立っているのに、自分の欲望の中に閉じこもっている(目先の快感に従う)状態が現実ではないでしょうか。
冷たく非情な人間が権力を握り、社会的な自浄力がない中で安住している現実に、頭から湯気がたちます。
by mura (2007-02-26 09:54)
minorin2様
30年前の男はやせ我慢だったけど、今の時代の男はそのレベルから進んで、見捨てられているのかもしれません。自分では気がついていないだけで・・
猿の惑星のようですね。
by モリノブ (2007-02-27 10:55)
mura様
安住が自業自得なのか、無知なだけなのかどちらなのでしょうか。自分が賢い選択をしているつもりでも、手品師のように選択させられているとは思わないでしょうね。コマーシャル効果のような・・ものでしょうか。
今の時代をきちんと評論したり分析している人が少ないどころか、コマーシャル評論家ばかりの気もします。誰を信じればいいのか見えてこない、それが本音ですね。
by モリノブ (2007-02-27 11:01)