日帰り帰省 10,1 [日記]
★日帰り帰省 10,1
クロに餌をやってから、金太郎も早起きさせる。
5時に起きて6時に出発だ。高速はそれでもトラックが多かった。三木SAで休憩、朝食だ。
ひたすら左車線でゆっくり走る。ときおり暴走する車がある。吉備SAで仮眠して休憩する。ここまでくると半分を超えている。普通だと2時間足らずだが3時間かけた?
豊浜SAではいつも休憩する。今回は姉の家に先に行くことになったので、土居ICで降りる。
独特の鳴声、飛び方、セキレイだ。
セキレイが 鳴いて走って 豊浜SA
義兄は仕事でいなかった。ピンボケだが白メダカ。いっぱいいた。
なかなか帰省できなかったので久しぶりである。
向かい隣で母の一番の親友Sさん、母と姉と妻の五人で食事に出かけた。
食事の後でも記念撮影だ。
Sさんを下ろして、ジャジャうま市に行く。野菜や果物やその他諸々のものがあって見ているだけでも楽しい。みかんの試食をする。まだ少し酸っぱいようだった。
この辺りは道から手前が全部海で、埋め立て地である。私は飼っていたメリーを連れて海岸を散歩するのが好きだった。
母は迷いがない?歩くのも早い。買うのも早い。
帰宅して休む。昔、何度も家に行かせてもらって徹夜マージャンでお世話になった・Dさんと久しぶりに会った。母とSさんがカラオケに来なかったので心配して来たらしい。お菓子やパンのお土産をもらった。
つき当たりが井戸端会議の場所らしい。同じ環境の近所仲間がいるので安心だ。
少し休んで元気が回復したので、兄のお墓詣りに行く。水を隣の工場の水道でもらう。この古い墓碑は持ち主が朝鮮半島に渡る際に、世話になったお礼で祖母がお墓の土地をもらった由縁らしいが、それを集めたらしい。
どういう人たちだったのか興味深い‥表は消えかかっているのが多くなった。
この辺も道から向こうは埋め立て地である。昔は泳いだり、小さな漁船もあった海岸である。干してある小魚をこっそりつまみ食いした記憶がある。
母の住んでいる市営住宅も空き家が多い。私は高校になってから移ってきた。ちょうど将棋に夢中になっている時期である。アマ二、三段くらいだった。プロになるとはゆめゆめ思っていない‥
17時半くらいに家を出る。
吉備SAで休憩する。饂飩で夕食にした。いっぱい食べると眠くなるのだ。帰りもゆったり走った。これからはこんなペースでいこう‥
22時に帰宅して、少し金太郎を出して遊ぶ。さみしくて退屈だったのだろうか、うれしそうにはしゃいでいる。ほっとした表情だ。
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