帰省 [日記]
昨日は(12月7日火曜日)息子と三人で帰省した。朝は7時過ぎの出発だったが、すでに宝塚からの中国道は混んでいた。あいにくの曇り空だった。ゆっくり走って吉備SAに着いた。ここまでくるとちょうど半分の距離なのでほっとして休憩だ。
瀬戸大橋を越えて高松道から松山道を走る。いつものように豊浜PAで止まって母に電話をする。ふと向かいを見ると、瀬戸内海の島と本州が見えていた。これは珍しい。
高速を下りて市街を走りだすと、製紙工場のパルプのニオイがする。実家に帰った実感がするのだ。
早速出かける。まずはいつも義母へのオミヤゲにしているブランデーケーキの店に行く。店のご主人が倒れてから、ある時期は手に入らなくなっていたが、今は奥さんが教えてもらって製造、絶品のブランデーケーキが復活したのだ。
その後で、母が週に2回通っている新町デーサービスに行く。ここの専務さんが、先日の朝日新聞夕刊の金太郎の記事が掲載されている新聞を数部ほど持って来て貰った、そのお礼の挨拶に伺ったのだ。
専務さんから紹介されて、デーサービスにきている人の前で、急遽プチ講演をすることになった。初めに母が世話になっているお礼を言ってから、弟子や金太郎の話をする。私は話がくどいので講演向きではないが、じっと聞き入ってくれた。
最後に40名以上の人と握手をして回った。「がんばってくださいね・・」小さな声ながら逆に励ましてくれる人もいた・・みなさん暖かい手だった。
その後で二階のグループホームへも行く。7,8名の入居者の方の前で、やはり弟子のことの話しをする。そしてまた最後に握手をして回った。私のは将棋に関わる話しなので申し訳ないと思いつつ話した。「みなさんも元気で暮らしてください」そう締めくくった。
数年前にここで三面指し指導対局をしたが、その中のお一人は亡くなられたそうだ・・
デーサービスを出てから食事に行く。
いつも食事する店
今回の帰省は息子も一緒だったので、母もひときわうれしかったようだ。
食事の後で。新しい方の三島港に向かう。何度来ても、製紙の工場群や大型船舶に圧倒される。
もともとは海だった。埋め立て地が広がって大工場群になっている。
大型船舶が小さく見える・・巨大な煙突
昔、外国からの大型船がくると見に来ていた・・
母と息子は寒いので車で待機、私と妻は相変わらずセルフをつかっての記念撮影だ。
こちらも大型船舶だが、巨大なロボットが動いているようにも見える
これ以上はそばに近づけないが、やはり大きい
港を出てから、兄のお墓参りをする・・(以前にも書いたが)母が祖母からもらったお墓は、祖母が朝鮮半島に行った人からもらいうけたお墓だそうだ。二度と戻らない決意でもあったのだろう。
このあたりはお旅所というが、これは旅をしていて行き倒れになったり、海で亡くなった無縁仏を祭っているところから来る名前らしい。それらの無縁仏もあったのだ。
私が幼い頃、このあたりはもちろん海で、砂浜の海岸になっていて松林もあった。
お墓参りの後は買い物だ。バリューに行く。普段はタクシーを使うと往復2000円掛かるのでみんなと一緒とか、甥に乗せてもらってでしか来られないらしい。通うのは病院もそうだが、きちんとした交通の便がないのである。
バリューのとはジャジャうまに行く。ここでも野菜や果物、お菓子などいっぱい揃っている。ここには徒歩5分くらいで来れるのだ。
帰ると午後から仕事が休みの姉が待っていた。少し風邪気味らしいが、いろいろ話をする。母は耳が遠いので、小声ながら姉は平気で何でもしゃべる。
我が家の傾向は正直にものを言い過ぎる?のかもしれない。母も平気で「ここの珈琲は美味しくない、好かん」といってあわてることもある。その割りに自分のことでなくて、人のことばかりで神経をすり減らし、悩まされている・・そして経済観念が大雑把なのである。どれも私に似ている、自分が母に似ているのかわからないが・・
母も特に兄が亡くなってからは、自分の好きなように生きているようである。兄の世話に明け暮れているときは、こだわりがあった。そんな気がする。
帰りも途中までは小雨がぱらついていた。私は嵐のような帰省帰りも何度か体験しているので、運転はヘタでも実戦的な安全運転を心がけている。
今回の帰省は何ヶ月前に息子の休みを確認してからだったので、母も喜んでくれてよかった。こうやって帰省できることの幸せもありがたいと思う・・