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部屋の片付け [日記]

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 朝の金太郎はときどき寝ぼけているが、けっこうオシャベリする。知っている言葉をいっぱい話すが、ときどき横着で手抜き言葉になる。最近はケージに戻すとき、巧みに反発して入っても出るように体をくねらせる。三回に一回はそれが成功して、飛んでいく。味をしめてやっていくうちにうまくなって困る。

 「キンチャン」と言ってケージに戻そうとすると巧みにすり抜けて、私の手の届かないところに逃げる。私の言葉尻とニュアンスと雰囲気で、先を読んでしまうずるさ?があるのだ。

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 部屋中の木がかじられている・・部屋中の紙がちぎられている・・困ったものだが、物の存在の意味も考えさせられる?要するに大事なものは金太郎の目に触れないようにということのようだ。さすがにコード関係は困るのだが。金太郎は容赦がない・・

 昨日は(12月22日水曜)午前中、部屋の片づけをしながら、年賀状の準備にかかる。ここ数年、手抜きしてしまって、住所変更をきちんと確認していないので、迷惑をかけている・・そういったひとつひとつの積み重ねが、ときどき大きな功罪としてバチが当たっているようだ?悪気はないのだがズボラで横着な性格なのである。

 これを見抜かれたのは高校の英語の先生だった。「森、君はみかけは真面目そうに思ったが、かなり横着やなあ」図星をつかれてドキリとした。勉強すればできるのに・・そういう言葉を何度も言われたが、将棋も同じで、それも含めての総合が才能、適性なのである。年齢を取るとそれがわかってきた。要するに「やればできる」というのはいつに時代でも怠け者のいいわけなのである。

 しかしこういっては何だが、学校の勉強が出来る、成績がいいのも優秀で人生には大きなプラスだが、それがすべてではない。(あくまで劣等性のひがみ、嫉妬ではない?個人の意見である)前のと逆で、「勉強が出来ると優秀」と言ったおごりが、どこかででてしまう傾向があるのだろう。「優秀さイコールすべてが優秀ではない」そういう気がする。これも一歩間違えると怠け者の嫉妬になってしまうが・・

 自信は自信の無さの裏返しである。自己嫌悪は自己愛の裏返しである。誰が言ったのかは定かでない?

 

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 部屋がゴッタ返しているときに、竹内三段が来た。あわてて二階のピアノのレッスン室に行って貰う。午後からは平松6級も来た。

 買い物と用事でダイエーに行く。それから帰宅して、あれこれ雑用だ。

 夕方からネット将棋や、高井6級と平松6級の特訓をする。これだけ頭の中が「将棋漬け」状態が長いのは久しぶりである。自分が強くなる、勝ちたいというのでなくて、弟子や子ども教室のことで「将棋漬け」なのである。ハッと夢を見たり、うなされたり、様々である。

 これが自分の中では仕事でも、仕事になっていない?<要するに村山聖流だと結果、成果、効果が出ていない・・>プロ意識の薄さだろうか。何かが間違えているか、何かが足りないのだろう・・自問自答の繰り返しだ・・

 9時半過ぎに終る。

 それから気分転換でマグドナルドに行く。ダイスポを観て有馬記念の予想をしながら、ついつい食べてしまった・・


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