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家で仕事 [日記]

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 昨日は(2月9日水曜)どちらかいうと家で仕事の一日だった。午前中は昨日のブログ日記を書きながら、金太郎の相手をする。と言っても金太郎を出していると、何もできない。

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 こんな風に私のパソコンの横でプリンターをこじ開けて遊ぼうとするのだ。何度も布カーテンなどで気を紛らしに行くが、どうも金太郎は執念深いのだ。無理に止めると怒って手を噛もうとする。甘噛みなのだが、ときどき本気で噛む。そういうときはすかさず電気を消して、「ダメ」と叱るのだ。金太郎もまずいと思うと、静かに私の頭に乗ってじっとしている。

 わざと手を持っていくと、もうやらないよという素振りで甘噛みをする。コントロールが案外難しいのだ。あまり深く考えないで、私のペースでやるのがいいようである。金太郎は子どもと一緒で長引くとダダをこねるのかもしれない。自由とわがままの線引きは難しいのだ。

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 蓋を開けようとしている金太郎。

 午後から電話で仕事の打ち合わせをして、一段落した。時間が余ったので子ども教室の整理をする。昔に始めたころはあれほど苦手だったのに、今は「上達させる」目的意識を持って取り組んでいるので面白い。体験の積み重ねは生きることもあれば、大きな誤解の可能性があるので、常に気持ちを新たにしないといけないようだ。

 弟子のことも振り返ると、村山聖との縁がきっかけだったが、そのことが大きすぎて、影響があるのはしょうがない。棋士だった自分ですら、将棋への向き合い方に物足りなさを自覚させられたのだ。でもそれがすべてではなくて、むしろでは自分はどうするのかを考えると、自分が地道にできることを全うするのがいいのだ・・自分で気づかない間にそう思ってきたのかもしれない。

 自分は幼い頃から他人(大人を?)信用しない・・親の苦労を見ていても、子どもの犠牲になってほしくない(ませている)・・世の中には裏と表があって、ほどよいバランスがいい、(善も悪も信用できない)・・それが人生観みたいなものだった。可愛くない子どもだ。ひねていた。

 でもそうしないと耐えられない、生きていけない、そんな何かがあったのかもしれない。植物が日のあたる方向に伸びていくのと同じで、自分が抗わないで進む内に、今の自分のようにこうなっていったのだ。しかし、時として?自分のいい加減さや横着さや身勝手さや怠けの部分が出てくることもある・・

 今は露骨さも堂々としていれば通る?そんな時代かもしれない。自分が恐らく?小数派なのだと自覚するよりないが、心の中のうめき声みたいなものを抱えて?何がどうなってもまあしょうがないかと開き直るのだった。こうやって自分を励ますのだった・・

 少々のことがあっても、自分の生きていくペースを変えないで、静かに暮らしていくのがいいのだろう。何度も自分に言い聞かす。ちょうど今日(2月10日)は59歳の誕生日である。そういう年齢なのだ。


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