清荒神へお参り [日記]
いつものように朝、金太郎を部屋に出す。金太郎は初めに決まったところで〇〇〇をする。源さんもそうだったが、鳥はケージを出ると真っ先に〇〇〇をする。身を軽くする本能なのかもしれない。金太郎は私が広告のちらしで受け取ってやるのだが、ときどきわざと逃げることもある。そのときは必死で追いかけて「金太郎、おいで」と諭すのだ。
いつもの週だと、今日は火曜日で園田競馬に行く日で、予定もしていたのだが、やはり東日本大震災と福島の原発の事故のニュースを観ていて、萎えてしまった・・園田に行くのが不謹慎とは思わないが、沈んだ気持ちでは・・無理である。
妻の提案で、清荒神にお参りに行くことにした。何もできない無力感があっても、自分にできる背丈のことをしよう・・それしかないのである。
参道をゆっくり歩いて上って20分くらいで着いた。ちょうど涅槃図の特別公開の日だったらしく、拝観することが出来た。
本堂にお参りする・・目に見えないものにすがりたくなる・・震災の犠牲者の方々のご冥福をお祈りする・・
清荒神はかまどの神様でもある。
ローソクと線香を立てる。線香は火をつけて、手で振って消すのでなくて、すぐに真上にのばすと火が消える・・チビの葬式のときに教えてもらった。線香の煙は心を癒してくれる。
清荒神は山間の寺院である。真言宗なので、愛媛育ちの私は落ち着く。子どもの頃からお遍路さんを見慣れているのだ。
自分の体の悪いところを撫でて、その手で自分の体に触れる。足と頭を撫でた・・
こういうときはお参りも身近に感じる。昔から人の手に負えないことを目の当たりにしたり、経験すると神仏に祈るよりないのかもしれない・・そういう世代か・・普段が信心深いわけでもないのだが。
梅が満開だった。悲しげな梅に見えた・・
一願地蔵尊に柄杓で水をかける。
奥にある滝に向かう。左手の壁に不動明王がある。「どこに見えるのですか}」と聞かれたので「滝でなく左手の壁のほうです」「ああそうか。今まで滝にばかり目が奪われていました」
鉄斎美術館。イギリスのトニーホスキンが来たときはお気に入りだった。
参道の帰りにいた仲のいい「地域猫」である。何故か涙が出そうになる・・今は感情がいつでも壊れそうなくらい脆くなっている。でもこういうときこそ冷静さが必要なのだ。自分を戒めるのだった。
春の気配がする。今年は特につらい春である・・
帰宅して、かなりダラダラしてしまう。
夕食の後で金太郎と遊ぶ。金太郎はいたずら盛りだが、人の気持ちに入ってくるものもあって、ヨウムはそういう鳥のようである。人見知りして気難しいのだが?人のそばが大好きなのである。
なにげない一日が過ぎて行く。この数日はいろいろ考えさせられて、自分の無力さと向き合う日々でもあった。これからもそうだろう・・