SSブログ

土日の日記 4月2日、3日 [日記]

  4月2日(土曜日)の日記 

☆土曜特訓コース

IMG_-c9064.JPG

 木曜日は春休み特訓コースだったが、土曜日は四月の土曜特訓コースだった。早起きして金太郎と遊ぶ。金太郎は日替わりで、気難しいときと機嫌がよくてやりやすい日がある。悪いことをすると、「金太郎、金太郎はいい子やろ?いい子やなあ。悪いことをしたらあかんよ」と目を見ながら言って聞かせる。

 じっと聞いていた金太郎は「オウ!」と返事するのだが、わかっているのかいないのか・・ただ私には以前はきつく本気で噛むこともあったのだが、今はほとんどない。噛んだりした後はわざと手を持っていって、「金太郎、噛んだら痛いやろ」と諭す。すると嘴を持っていって、ごめんという感じで舐めるような仕草をするのだった。

IMG-c_9068.JPG

 土曜日は10時、13時、15時30分ともに3名だった。最近は特訓に限らず、力んでいるわけではないが、全力で指導しているので(負かすという意味ではない)終るとぐったりして、休憩時間は横になっている。

 不思議なもので特訓しているつもりが、自分を特訓しているような雰囲気にもなっている。修練は恐るべし?である。どの将棋も内容で自分が崩れないようにしないといけないのだが、持ち時間は互角なので(15分~20分で切れ30秒)三面指しでは時間がなくなってくると、上手も焦るのである。

 将棋は棋力に関係なく、特訓、いや鍛錬がすべてなのかもしれない。将棋は頭でなくて体で覚える体得感覚(こんな言葉はないが)みたいなものが大きいかもしれない。

IMG_-c9078.JPG

 昼休みの休憩時間だ。

IMG-c_9080.JPG

 午後からの特訓コースだ。対局を重ねてくると、互角の形勢、優勢、不利などが感じでわかってくるものだ。例えば10級の子と平手で指すと、どのあたりで形勢を損じるか・・予測が出来てくるものだ。とにかく指導対局の原点は「どこが弱点かをみつける」ことにあると思う。一局の将棋の悪手や敗因を探るのも大切だが、棋力とのバランスを考えたアドバイの方が必要な気がする。

 悪手を指摘しても、その悪手が錯覚なのか、意味がわかっていないのか、その手が悪手なのを理解できているのか、それによって違うのである。将棋の棋力は初段ならどの局面でも初段と思ってしまうが、実際は三段の手や、5級の手を指すことも含まれての総合基準なのである。初段と三段の差といっても説明しにくいものだ。

 でも対局を重ねてくると、レーティングのようなもので、結果の数値が出てくる面もあって、案外当たっているのだ。棋力の向上といっても、結局は詰め将棋を一問々々きちんと解いていくこと、序盤はとにかく形勢を損じないように指す、中盤はとにかく互角を目指すこと、終盤もとにかく確実に寄せる訓練をすること、こまかいことをていねいにということなのである。

 有利、指しやすい、優勢とか勝勢、そういうものは手形や小切手のようなもので、現金ではないのである?そして、いざ現金を手にし始めると動揺して間違いやすいのだ?

IMG-c_9100.JPG

 特訓コースが終って夕食の後で、金太郎を部屋に出す。

IMG-c_9102.JPG

 平和な遊びだ・・

IMG-c_9103.JPG

 HIROに行く前にダイエーに立ち寄って買い物をする。そのときに母の日のコーナーがあって、妻の注文でモデルになる。何とも似合わない・・

 最近は毎日、被災地のレポートや原発に関するブログやニュースを見ているが、次第にいろんな話をしるたびに、またいたたまれない気持ちになる・・自分がそういう場にいて、どういう行動を取るか、決して立派な行動を選択しているとは思えない・・津波のときに、どれだけの人が自分の犠牲をいとわないで、人を助ける行動で結果的に自分が犠牲になった人がいたか・・

 神や天を呪いたくなる・・できごとだが、現実に起こったのである。そしてこれからも被災地の人たちは復興にむけて現実に生きていくことが待っている。普段の暮らしを取り戻すには、気が遠くなるような道のりだが、どう言っていいのか声もない。いろいろ考えると自分の中でも混乱してしまい、心身のバランスを崩してしまう・・そして原発の危機が重なって行く末を案じる・・という表現しか浮かばない。 

 4月3日、日曜日の日記

 ☆子ども日曜コース

IMG-c_9104.JPG

 4月3日(日曜日)は午前中、子ども日曜コースAだった。朝、出欠を取ってしゃべっているときに、先月の26日以来、声が出にくくなっていたが、塞がれていた喉の奥が開いた感じで声が出た!ようやく普通の声に戻る・・

 25日の深夜は一切声が出なくなっていて、もう話せなくなるかもしれないと思った。それから振り絞るとなんとかしゃべれるようになったが、きつかった。またこういうときに翌日、話をする結婚式のスピーチと講演があったのも不思議だった。

 悪くなると有難さがわかるものだが、話すということがこれだけ複雑な機能だったとは思わなかった。風邪で声帯を痛めていたようだ。昔、結核と間違われて肺炎でうなされているときは、生きているのがうれしかった。椎間板ヘルニアのときは、歩ける、ということがどれだけ有難いことか、でもまた普段の暮らしに戻ると、いろんなことを忘れてしまうのだ・・

IMG-c_9106.JPG

 午前中は坪井1級が指導で、私は指導の補佐をする。阪上二段が手合いだった。出席は前回よりは少なかったが、途中で騒がしくなり、見かねた妻が雷を落とす。私はまだ声がでにくいのでありがたかった。以前から遠慮なくと頼んでいたのだ。

IMG_-c9105.JPG

 子どもへの指導は力を図るのと、棋力アップの対策を考えながらである。どうも観ていると、攻めの認識が薄い。ゲーム性の感度がやや鈍い傾向にある。普通のゲームでは受身が多くて、将棋のような自己開発?みたいな要素のある分野が不慣れなのかもしれない。ようするに言葉を悪く言うと、けんかなれしていないのだ?そういう面を考慮してアドバイスしていかないといけないのかもしれない。

 本気になってひとつ覚えると、飛躍的に伸びていくのが子どもの特徴でもある。しかし将棋は曖昧に覚えると、いつまでたっても伸びない厳しさもある。上達がすべてではないが、せっかくやるのなら、気持ちだけでも本気モードになってほしいと思うのだ・・強い弱いでなくて、棋力に応じて戦う楽しさを味わってほしいのが願いである。

IMG-c_9115.JPG

 今日は子ども同士の対戦を重点的に見て回った。

IMG-c9118.JPG

 戦いの雰囲気は出てきている局面だ。互角の局面を作るのがコツだ。

IMG-c_9134.JPG

 午後からは日曜コースBだった。少人数だと、弟子に任せて休もうかと思ったが、ギリギリのきわどい人数だったので、指導の補佐に回った。私は何のかんので将棋を指すのが好きなのだ。しかも手合いも目いっぱいがいい。いい勝負の将棋を指すのが目標だ。

IMG-c_9141.JPG

 H準三段戦で上手優勢だったが、怪しくなって来た局面だ。指導対局は①互角の形勢を目指す②互角になる手を選ぶ③互角のバロメーターを教える、のである。

IMG-c_9145.JPG

 M二段戦で飛香落ちだがひとめだと形勢がわからなかった。上手やや苦戦のようだ。

IMG-c_9155.JPG

 子ども教室が終わり、片付けてから競馬を見る。先日のGⅡ,GⅢの予想が4レースとも外れた。もっともその内の2Rは大穴、2Rは手堅くだったので、苦手なパターンだった。

 今回3泊したY君も帰っていった。

 IMG-c_9157.JPG

 金太郎を出して遊ぶ。教室が終って子どもがいなくなると、オシャベリが始まる・・

IMG-c_9161.JPG

IMG-c_9169.JPG

 金太郎のいたずらで、こうやってものを落とす。胸を張って落とす。

IMG-c_9172.JPG

 引き出しもあけて、鉛筆を咥えたりする。切手も破く。容赦なしである。

 最近は遠くを見ないで、近くのこまごました雑事に専念している。身の回りに専念することにした。まずはそれしかできないことを自得するのだった・・

 


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。