免状授与式 [日記]
「源さん思い出アルバム」のブログは亡くなった源さんの写真と私の思い出を綴ったものだが、更新が遅れ気味である。この写真は2,008年2月10日、私の誕生日の源さんである。雪が積もったので、源さんに見せようと庭に出したのだろう。
これはトビオと源さんである。今は我が家では金太郎が主人公みたいになっているが、かってはトビオであり源さんだった。しかしいつの時代でも私の心安らぎ相手は人間よりも動物のようである?
今日は早起きしてしまい、昨晩からの将棋教室のテキストを作成する。金太郎を出すと、どうしたのだろう・・私にまとわりつく。とにかく眼鏡をしつこく外す。根負けしてしまう。
きつく本気で噛むことはなくなってきたが、金太郎は何かで叱られたり、取り上げられると感情的になるようだ。そのくせ甘えん坊である。それは何よりも私に似ている?気がする。
昼過ぎにペットショップに立ち寄ってから、一休みする。それから福島の関西将棋会館に向かう。
今日は「免状授与式」だった。初めに淡路理事の挨拶があり、それから免状の授与にうつる。
終って四階で小宴があったので、乾杯に参加する。それから30分くらいいて帰宅した。結局お祝いの弟子がふたりともいなくて?拍手する側にも安用寺六段しかいなくて・・ひたすら低姿勢でビールを継いで回った?
お祝いの会は、弟子が出席で師匠が欠席が本来のパターンである・・まあ用事がいろいろあったのだろうが・・師匠の肩身を狭くするのはよくない・・???日頃の指導の至らなさだろうかなあ・・これは今期は弟子に活躍してもらわないと困る。ますますそう思うのだった。
帰宅して金太郎を出すと、何故かまとわりついてくる。その割りに眼鏡を外しにくるので、金太郎の考えがよくわからない。
HIROに行く。
帰宅してまた金太郎を出す。今日は特にまとわりついて、さみしがり屋の金太郎だった・・
入門教室 [日記]
金太郎は夜は遮光カーテンをしている。以前は朝は8時前に起こしていたが、最近はケージの中でガサガサして起きているようなので、早めに起こす。
朝は「おはよう」と言うが、返事はなくて黙って羽を広げてからだの伸びをする。金太郎は鳥なのでからだの構造が違うのだが、生活サイクルはあまり変わらない。寝ぼけているときもあるのだ。少し時間がたってケージを開けると、すぐに外に出るのでなくて、頭を掻いて・・の要望にこたえて数分は撫でる。それから手のひらに乗せて外に出す。
まずは事務棚の上に通してある棒に乗せる。そこで私がチラシを持っていくと〇〇〇をする。それを観て健康状態がわかるのだが、躾けたわけでないが、金太郎はよくわかっている。
それからケージの掃除をして水換えと餌入れを終える間、金太郎はたいてい私の頭の上に乗って、歌っているのだ。動くとついてくる。
いい天気になったので、日向ぼっこさせる。金太郎はすっかり大人の体型で、目も鋭くなってきた。
近くにカラスがいて、金太郎が警戒するそぶりだった。いろんな音にも反応する。
源さんのときは飛べないので、外の庭に出した。生き物の生活環境の舞台は意外に狭いのだ。狭くてもそれが自分の暮らす空間だ。
夕方からはピピアめふに行く。「子ども入門教室」だった。先月の「入門教室」からの新入会が2名いた。もっと宣伝しないといけないのだが、すぐに忘れてしまう。
今日は欠席もいたので10名だった。何とか入門教室を通じて、実りある内容にしたいと思っているが、手探りでもある。やっていくうちにわかることも多くて、路線の修正をしながら進めているのが現状だ。指導側があせらないで、じっくり取り組む姿勢が大切な気がする。
この図はFさんの七枚落ちだが、ここから成香を使うのが急所だ。こういう風に動きの遅い駒を使うのが、ひとつのコツである。急ぐときは7三桂だが、初級者の場合は急ぐといいことはない。しかし遅すぎてもだめである。ここから1六歩と垂らし、4六とまでは6手かかる。成香だと五手なので、あまり変わらない・・と金の遅早とはよく言ったものだ。
もちろんここで1六歩が打てれば有段者である。初心者には成香を使うことを教える。
六枚落ち、七枚落ち、八枚落ちで指導しているが、これはうまく指している。ヒントをいいながらの進行だが、ここから3三桂、3五歩、同歩、4五歩、5三角、4六銀、9七角成、3五金、3四歩、3六金、1五飛と進んだが完璧である。
上手はわざと負けるのでなくて、下手が勝ちパターンを覚えるように指すのが効果がある。だからきちんとした手を指す訓練なのだ。ときどき指導対局で耳にするが、負けてあげると喜ぶという言葉には抵抗がある。わざと負けるのはよくない。下手がきちんと指せば、上手もきちんと応じて負けるのがいいように思う。
このあたりのニュアンスだろうか。私はきちんと指すという言葉が好きなので、指導に向いていないのかもしれないと思うこともある・・欲張りなのだ。
終って帰宅して、手伝いの坪井1級と一緒に夕食だ。それからHIROに行く。
帰宅して金太郎を出す。うれしそうに掃除機の上に止まった。これが曲者で、スイッチを壊したりするので要注意なのだ。
入門教室の事務用品の入った缶を嘴で簡単にこじ開けた。」鉛筆があろうものなら大喜びで噛み砕くのだ。
21時になり、「渡る世間は鬼ばかり」を見る。最終篇とあって、動きも展開も意表をつくが、人の心の機微をうまく捉えるものだ。人間は自分の立場からしか物事を見れない・・考えられない・・ということは自分のことがいちばんわかっていない要素もあるのだろう。
原発のブログを毎日見ているが、いろんな面でこれから何十年とかかるそうである・・気が遠くなるような長い年月に渡る犠牲を払わなくてはいけない・・それが現実に起こっている。
だから原発をなくす、原発を減らす、原発をなくさずに安全をより重視する・・そのどの方向に向かうのかを決めるのはこれからである。しっかり見守っていかないといけない・・
大阪都構想があるらしいが、今一番求められているのは景気回復と雇用促進の気がするのだが・・将来の不安は個人的なものが大きいので、それをひとつひとつ向き合っていくのが政治と思っていたが、今は何かがおかしい気がする・・それを説明できないのが歯がゆいが、大きなことより、小さなことを大切にしていない政治との感性のズレだろうか・・考えると頭が痛くなってきた・・私の理解力では無理である。
庶民の側からでなくて、政治家の側からみた社会・・それがやさしさを感じない政治の原因の気がする、・・それが現状なのだろうとしか思えない。与党も野党も信頼できない政治・・それでも何かを信頼するよりない矛盾・・投票に足が向かないのは困ったものだ・・これでは社会人失格である?そもそもはぐれている?のかなあ。