木曜の市 [日記]
トビオとクロと金太郎
昨日は(5月19日木曜)朝からダイエーの木曜の市に行く。我が家はこのパターンが定着しそうである。混雑がイヤで木曜日を避けていた頃もあったが、混雑を活気と考えよう?
食料品売り場で唖然とするのは、似たような野菜を指で押えて、次から次から触れていくおばちゃんである。どれも同じと思うのだが、やはりキリがないようで、なかなか決まらない。ヘタをすると全部触っているようにも見える。凄いなあと思った。このたくましさ(品のなさ?)はどこからくるのだろう・・
今は意外に遠慮のない時代ともいえる。本音をかくさずに、建前はムダとばかりに幅をきかせているフシもある。奥ゆかしさはもどかしさ、配慮は知らんふり、遠慮は無用、我慢は勝手、ズケズケと言わないと損をする・・これを品がないと受け取るのかどうかは人間性だろうか。
昔、電化製品を買うときに、まあいいか買おうとすると「森さん、〇〇に行くと同じ商品が安いよ」と言われたが「行くのが面倒だからここでいいよ」と答えて呆れられたことがある。私は気取っているのでなくて、本当に面倒なのである。もしも自分が商売すると、「ここは商品が悪くて高いよ」ヒソヒソ話を聞いてしまう側であろう?愛想もなくてそのうちに倒産だろうか。
今回の東日本大震災でもそうだったが、水や電池が調達できなくなる状況・・被災地に送られるだけでなくて、いざというときの備えに買い求める・・そしてパニック寸前で必要なときに足りなくなる。
私の母はもともと200パーセントくらい用意周到で、いつもトイレットペーパーが山と積んである。妻は逆にそんなにいらない・・ギリギリまで動かない?無くなってあわてて買いに走るタイプのようである?
昨日は昼間はテキスト作成と雑用をこなした。
妻のピアノのレッスンが終わり夕食の後で、HIROに行く。歯の痛みもようやく薬が効いてきて治まっているようだ・・
少しこのパターンが飽きてきたのか?金太郎は物足りないようだ・・金太郎は単純ではなさそうである・・最近はきつく噛まれることがなくなった。遊びで冷やかしに噛むことがある。それが結構痛いのはわかっていないようだ・・悪さを始めると電気を消す。そうすると私の頭に乗って羽繕いをしてじっとしているようだ。
また電気をつけると、わかったようの素振りである。ケージに戻すときは気配で気づくようで、さっと飛び立つ。「金太郎、ネンネ」と言って電気を消してなるべくそっと掴まえる「バイバイ」とあきらめてケージに戻る。納得させて戻すのは根気がいるのだ。
いろんなニュースを観ていて、素直に信じることもあるが、私は疑い深い性格なので裏のほうを詮索してしまうクセがある。新聞や週刊誌の記事は詳細には書けないはずだし、テレビは普通にすれば情報の画面を選ぶ切り取り作業があるはずだ。契約書の片隅に大事なことが書かれてあるのと同じで、真実はなにかを考えると、声の大きさや活字の大きさではないものがあるように思える。
情報を伝える前に、情報の取捨選択に操作が入るのはしょうがないにしても、その判断が大事な気がする。何をどう伝えるのか・・それがジャ-ナリズムの根幹だろう。言葉のあやというのがあるが、東日本大震災、原発の情報をみるたびに、混乱してしまうものがある。
ニュースで見る以上に、被災地ではもっと深刻な状況ではないのか・・例えば義援金のことでもまだ実際に渡っていない・・現実に仕事がない、まだ家族がみつかっていない・・いろんな現状があって、不満や不安な日々を過ごしている・・当事者でないと切迫感がないのはしょうがないが、それでも歯がゆいものがある。人の悲しい記事を読むのはつらいことも多い・・
では自分に何ができるかと言うと・・何もないかもしれない。だから偉そうなことは決して言えない。まずは自分の身の回りのことをしっかりこなしいくこと・・それしかないのだろう・・