適職は幻想である [日記]
昨日は(4月9日月曜)朝9時55分からの関西テレビ「となりの人間国宝さん」を見る。十三界隈の散策で、十三棋道館の北川茂さんが出演されていた。普通のテレビはニュース以外はめったに見なくなったが、この番組は面白かった‥北川さんはさすがの貫録である。
その後で今度は10時55分からの朝日放送の番組で清荒神の参道界隈の店が出ていた。見知った人ばかりなので、これも面白かった。同じ日に重なって見知った人が出演したのは珍しい。
昼からは仕事に専念する。急ぎの仕事なのだが、またもやはかどらない‥
「適職は幻想である」内田樹という方の新聞のコラムが面白かった。
「この仕事をやって下さい。」と頼まれることがある。あなたが頼まれた仕事があなたを呼んでいる仕事なのだ。
「仕事というのは自分で選ぶものでなくて、仕事の方から呼ばれるものだ、と僕は考えています」
「仕事の能力については、自己評価よりも外部評価の方がだいたい正確です。」
「キャリアのドアにはドアノブがついていない」
「消費者マインドを就職に持ち込まない」
「仕事をするというのは、手持ちの貨幣で商品を買う」ことではありません。それはむしろ、自分がいったい何をもっているのかを発見するプロセスなのです。」
なるほど、目からウロコである。
朝これを読んで仕事を始めたが、思考のどこかで、回路の組み直しをはからないといけない‥ものを感じている。
すっかり眼鏡外しが気に入ってしまって困る。あまりしつこいので取り上げると、金太郎は私の手を噛みに来た・・すぐに電気を消して叱るが、遊びたい気持ちを抑えられないようである。電気をつけるとすぐに頭の上に乗ってきて、しばらくは静かにしている。
「きんちゃん、いいこやろ、いいこやなあ」なだめるように諭すのだが、どうも金太郎は短気である。妻に言わすと私が育てると、動物達はみんなわがままになる傾向があるそうだ‥弟子もそうなのだろうか?
夜、久しぶりにKさんに電話をする。
日曜コース 桜花賞 ニューシネマパラダイス [日記]
最近の金太郎は自分の遊びよりも私のそばにいるのがいいようで、でも私の方は何もできなくて困る・・これは「ポン」と言って歌をねだられているシーンだ。「ポンポンポン、キンチャンがポン、ポンポンポン、ハナビがポン」と歌うと真面目な表情で聞き逃すまい・・しかし私のレパトリーは少ないので、次第にアクビをしそうな表情に変わる・・
金太郎は歌のことに関しては真剣な表情になる。リズム感も抜群である。
金太郎は横から見るのと正面顔とは全然違う。私はこのとぼけたような正面顔が好きだ。
午前中は「子ども日曜コースA」だった。この時期は入れ替わりもあって人数が定まらないと思っていたが、普段と変わりなかったようだ。春休み最後の日曜日とあって、少々にぎやかだった・・
最近は子ども同士の対局も見て回っているが、まだ悪手で決着がつくパターンが多いようだ。何がわかっていなくて、どこを指導すればいいのか‥考えながらやっているが、将棋はある意味で会得するものなので、感じるものが大切な気もする。そして技術的には「攻めの駒組み」を知ることだろうか。基本パターンでの攻めの修練がいいような気がする。
午後からは「子ども日曜コースB」だった。メンバーが変わってきているが、鍛えがいのあるコースである。
阪上二段が指導対局で、坪井1級は受験者特訓、私が教室の手合いと指導の補佐をした。
教室が終わって「桜花賞」を見る。ほぼ予想通りだが?3連複は手を伸ばせば取れていたかなあ・・馬連は取ったが収支はほぼトントンである。ずっと好調だったJRAの馬券は最近はやや不調である?配当をねらいすぎて穴馬券が多いせいのようだ。バチが当たっている。
Y君がきて棋譜調べをした後で、バー〇ヤンに行く。カレーが続いたので?気分転換だ?
帰宅して金太郎を出して遊ぶ。
眼鏡外しの金太郎
夜は遅れていたネットレンタルDVDで「ニューシネマパラダイス」を見る。何度も見ているのだが、忘れないでときどき見たくなる映画である。
最近は少々のことがあっても驚かないし、かなり悲観的に物事を見るのは子どもの頃からの習性なので、淡々と日々の日課をこなしている。(つもりだ)
「お前の噂を聞きたい‥」ニューシネマパラダイスの中の忘れ得ぬセリフである。この映画になぜ感動するのか‥心を揺さぶられるのか・・人の魂に触れるものがあるのだろう。
私はあちこちで不義理の塊みたいなものなのだが、でも自分の中では目の前のことに集中して向き合うことに徹しているつもりなので、大きな悔いはない‥(小さな悔いはいっぱいか)
昔の話だが、深夜にビデオを返しに行くとき、ふと村山聖のアパートを自転車で通るときのことを思い出した。そういう名目で訪ねることがあった。
私は部屋の鍵を預かっていたが、急用でも絶対に不意に覗くことはしなかった。トントントントンとたたいて「村山君!おるか」返事はない。でもいるのはわかる。何度かたたいてようやく「ハイ」と冷静な返事。「あのなあ、おるんなら早く返事をしいや」「すみません、面倒くさくて・・」
部屋の隅に座って、近況を聞く。「はあ」と言うのが得意のセリフだった。何故こういうシーンを思い出したのかわからないが、ニューシネマパラダイスを見て、懐かしくなったのだろう。
今でも思うが、私が村山聖にとっていい師匠かどうかはわからない‥常に判断をしないといけないことがあったが、悩んだ末のことなので、間違えていたとしてもお互い様なのである‥そういう心情だったと思う。協力はしても決して同情はしない‥それが根底にあった。
私の方がむしろ気恥ずかしいくらい、将棋の面でも生きる姿勢の面でも青二才の感じがしたことがあった。ただときどきとてつもない無茶を言い出すこともあって、そのときは一晩考えて、腹をくくって言いにいったが、そんなときは村山聖と対決するような・・気持でもあった。「師匠は頑固やからなあ・・」人づてにそう言うのを聞かされたことがある。
今は対決するまでの弟子はいないが・・(いたら困る)「師匠も含めてみんな甘すぎますよ」そういわれそうである・・