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花と金太郎 [日記]

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 そしてとうとう花をかじる・・

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 「何にもやってないよー」と言う表情だ。

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しかし我慢できない‥「コラッ!キンタロウ」叱られる前に自分を叱る金太郎。

 金曜日は(6月29日)箕面のジェットに行く。久しぶりだったが、様変わりしていた。必要なものを買って帰る。それにしてもここは年中混雑で不況知らずに見える‥

 帰宅してひと眠りする。最近は膝の調子もあってか、歩きっぱなしでも座りっぱなしでも疲労が早い‥回復も早いのが取り柄だが・・

 

 T君が来ていたので、夕食後に数局指す。

それから受験者研究会の保護者に電話で連絡していく。今年の奨励会受験についてだが、それぞれに状況は異なる・・来週初めまでかかりそうだ‥

 毎年こうやって関わっているが、悔いなく取り組んでほしいと思う‥

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 私が奨励会を目指したのは19歳のときだったが、すでに集団就職の形で高卒後に働いていた。仕事は役に立たないし、大学も落ちて(こっそり予備校も行ったのだが、高校の頃から勉強をしていなかったのでいかんせん無茶だった)将来どうしようか‥

 ある日会社を休んでフラフラと尋ねた先は、山中和正七段の自宅だった。ピンポンを押して「こんにちは」といったものの意味不明なことを口走ってしまう・・確か「弟子にして下さい」だったと思う。

 

山中先生は「まあ入りなさい」と言ってくれて「最近、指した将棋を並べて、見て下さい。但し私は弟子は取っていないのでね」

 今思うと信じられない大胆さだし、恥ずかしい行動だが、せっぱ詰ったものがあったのだろう。棋譜並べをしながら、(実力のなさは見抜かれたと思う)アドバイスしてもらって、「〇〇さんのところに行ってみたらどうかなあ」

 それが師匠の南口繁一九段の教室だった。

棋士になってから、山中先生に当時のことを謝りながら話したら、「覚えていますよ」と言ってもらえたのでほっとした。

私の場合は棋士になりたいと言うよりも、人生に切羽詰まっての打開策だったような気がする。私が弟子にこだわるのは、その当時の体験も大きいかもしれない‥

  逆にいうと、当時の体験が邪魔をして、ついつい弟子に甘くなるのである‥口惜しさをバネにというのでなくて、また勝負の醍醐味を味わうのが好きなのでなくて、将棋が世の中で数少ない自分の居場所のようなものだった気がする。今もそれに近いものがある。かなり退嬰的かもしれない?

 棋士になってからだが「君は棋士に向いていないなあ」と可愛がってもらった大先輩に将棋に向き合う姿勢のことで説教されたことがある。呆れられつつも「まあそれでもいいわハッハッハッ」と言ってもらえた。

 古めかしい将棋指しの世界が好きなのである。。まあ今はこういう発想は時代遅れでどうしょうもないが・・ひそかに全うしたい・・。ただし決して自分の考えを押し付けようとか、聞いてもらおうかと言う気持ちは全くない。

時代の変遷とともに、変わりゆくのが当たリ前だからである。

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 いろいろと考えをめぐらすが、結果を今できることをこなしていくこと・・それに専念するしかないと、いつも最後は自分で納得する。

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 なかなか師匠の思いは通じないが、弟子にはそれぞれ自分なりの戦う形を持って?踏ん張ってほしいなあと思う。

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  「アブナイヨ」と言って注目させながら、首を出す金太郎。


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