9,25=月曜日の日記 対局負け 9,24 [日記]
昨日の対局、王座戦予選、斎藤慎太郎四段戦から(私は△後手番)
図から①▲6四歩△同飛▲5五銀左△同銀▲同銀②△6六歩▲同金△5五角
▲同金△3四飛③▲3六歩△8五桂▲3五銀以下負け。
①▲6四歩=68分の長考で指された。これで一直線になる。私は▲2三歩△同銀▲2五歩(または▲3八飛を予想していた。
②△6六歩=疑問、結果的にここから負けになる。△3五角の王手が良かったようだ。以下▲4六銀は△6六歩、▲4六銀打なら△3四飛でまだ戦える。
③▲3六歩=▲3七歩は△3三桂、▲3五歩△同飛▲5七角なら△2七銀で難しいと思っていた。手筋とはいえ▲3六歩でしびれた。△同飛は▲3七歩、△3三桂も▲3五銀で悪い。手筋とはいえ気づかなかった。これで負けを悟る‥がっかりである。
きちんと指されて完敗だった。この局面の前の▲3五歩に△同歩と戦うしかなかったかもしれないが、攻め合いで負けと思った。
9,25=伊丹将棋センター15周年 9,23 [日記]
午前中は「伊丹日曜コース」だった。今日は「子ども将棋団体戦」の日でもあるので出席はやや少なめだった。
ここから6五歩、5三銀となって下手がまず勝てない‥
六枚落ちだが、玉の囲いがやや怪しい?
上手の玉は五手詰めだ。ヒントを言わないと詰ませられない?
家に戻って保護者懇談があった。夕方もあってこれで全員終わった。感想としてはそれぞれに事情があって状況も異なるが、阿吽の呼吸がないと事が運ばない気がする‥
弟子を取るようになって何年経つだろう‥初めの村山聖が強烈な印象だったので、どうしても他の弟子には物足りなさを感じてしまうかもしれない‥でも村山聖との関わりはほとんど心配事ばかりで夜も眠れないことも多かった。距離をおいて何にもない時間が長く続いてほしかった‥
私自身は村山聖にも今の弟子にも変わりなく接しているつもりだ‥ただ村山聖はいつも背水の陣のような雰囲気があって、意を決してでないと向き合えなかった。そういう意味では私の方も鍛えられた気もする。答えのない問題を突きつけられるので、真剣に考えて結論を出すしかなかった。
決して村山聖と比べてはいないが、逆になにかあると(気持ちが弱ったとき‥)ふと思い出してしまう・・懐かしいのもあるが、自分が将棋を通じてどう向き合っていけばいいのか‥そのヒントをさぐるときに今も対話している気持ちかもしれない‥ときに幻想で願望で依存で矛盾で混迷なのだが、私には大きな支えになっているかもしれないと思う。
夕方から伊丹将棋センターに行く。飲むので車で送迎してもらう。
昼間は将棋の大会で、夕方から宴会だ。
私の子どもの頃に通っていた将棋道場でも、ときどきこういう宴会があった。酔っぱらってクダをまく人も多かったが、大人の世界にひたるのは面白かった。
将棋大会の結果が張り出されていた。伊丹将棋センターはつわものが多くて、みんな野武士の雰囲気があって頼もしい?レベルも高いと思う。
時間がきて「歩まわり」の大会が始まった。6人一組で行う。私のところの大会風景である。村山大地君と私が苦戦で、特に私は桂から歩まで落とされてギブアップである。4枚の金を振るのだが2しか出ないことが多い‥勝負は大逆転だった。
これは珍しい‥12進むのだが作っても見えないシーンだ。
歩まわりの決勝はさらに厳しいルールがあって、観ていても面白かった。
リレー将棋も始まって今年は2人一組だった。今回は私は不参加だったが、リレー将棋はこれも阿吽の呼吸が必要だ。
翌日が対局なので、早めにお開きにさせてもらった。楽しい時間を過ごさせてもらったが、毎日、いや週末でもいいが、こんな風に人がいっぱい来てほしいものだ・・将棋は人のぬくもりを感じさせるゲームでもあるのだ‥
9,25=土曜日の日記 9,22 [日記]
土曜日の日記 9月22日 遅れ意味の更新
土曜特訓コース、奨励会例会
土曜日は「土曜特訓コース」だった。
ここから4四歩、同銀右、3五歩。7一角のねらい。
1三歩の受けに1九香、1二銀、1三香成。やはり玉が危ない場所にいる‥
7三桂がキズになっている。将棋で負けるのはたいてい桂の頭だ。
7五同歩に同銀、7六歩の8四銀、3五歩と進んだが、同銀では6九角だった。
六枚落ちだが上手優勢でも、一人では勝てない局面・・将棋の一面の真理をみる?
飛車の位置で私が(手前)優勢か?
ここから7四桂、2四歩以下勝ちだが、この局面は自信がない。
混戦だが、8一桂、6二銀の出遅れが痛い局面だ。
夕方は出かける。奨励会の結果報告は携帯か留守番電話で聞く。星田4級が3級に昇級した。スローペースだが、将棋はしっかりしていると思う。
弟子の成績が気になるが、最近はいいことが少ないので自分の中で期待値が低くなっているかもしれない?勝つのは大変だが、それが仕事でもある・・
自分なりのやり方ではうまくいかない‥それなら何かを変えないといけない‥もっと自分のことを分析する作業が必要だろう。そうすると混乱する場合もあるが、打って出る気持ちが必要だと思う。でも弟子に対してはきつくできないのが私の甘さかもしれない。
私自身の考えでしかないが、師匠と弟子もこれから対応が難しい時代になってくるかもしれない。 これも私自身のことなので個人的だが、気が滅入って、何のために弟子を取ったのだろうと思ってしまうことも以前よりも増えてきた・・結果が出ないことや気持ちが伝わらないこともあるが・・余計な神経を使わされるのがつらい‥葛藤があってもそれらを含めてが師匠という役割なのだろう・・