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将棋教室 子ども時代の自分 [将棋教室]

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 今日は朝から雨で、午前中は子ども土曜コースだった。昨日遅かったが、早起きして部屋の片付けと、子ども教室の準備をする。バテ気味なのはわかるが、よけいにリズムを守らないと危ない(仕事のペースが狂う)

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 午後からは土曜教室だった。少しフラフラ気味だが、何とかこなせて終わった。将棋を指すのは本能に近くて、眠りながらでも指せるのだ?

 夕方終わってから、喫茶店に行く。

 夜、母から電話があった。「別に用事はないけど・・」たいていグチを聞くことになるのだが、私は昔からこういった類のことは、柳に風、馬の耳に念仏、右から左に素通りなのである。

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 私は愛想のない子どもで(今もそうだが)子どもの頃から大人になっても母に「何かいるものはないか」と聞かれても「ない、何にもいらない」という素っ気ない返事しかしない。実際にそうなのだ。「信雄には何にもしてやれなかったから・・」妻にそういっているそうだが、私は感謝している。(母の日が近いから)母のひつこさと根性と、公平な目線は自分には、とっても影響を与えてくれたと思う。

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 ただ「写真は撮りに行くな、猪や熊がでるから」とか、「将棋は勝たんとあかんやろう」「車の運転は危ないからやめとけ」とか、いまだに子ども扱いである。げんなりして返事をしないで、知らんふりするよりない。

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 子どもの頃に、母が男の人に混じって道路で力仕事をしていて、あるとき遠足かなにかでバッタリ現場で会ったとき、母が手を振っても、私は恥ずかしくて横を向いてしまった。そのことが常に頭にこびりついていて、悔やんだ。アホなことをしたと自分を叱った。情けないと思ったが、そのときはしょうがなかった。7歳くらいのときである。

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 貧乏や職業、地位、そんなことで人を見る愚かさを、身を持って体験した事は子ども心にも薬になった。だから私は、一念発起して大物になろうとか、大金持ちになろうとか、またその逆に卑屈さや、女々しさは持つまいと自然に思うようになったのかもしれない。ひどい目にあっても、復讐することや、世の中を色眼鏡で見ることは、どんなにエネルギーを持ってしても空しいものがある。そいいう世界から抜け出て真っ直ぐな心を持つことは難しいことだが、悔しさや惨めさを涙でぬぐうと、洗われるものかもしれない。それでもイヤな人間は多い。横着なほど得をしているように思えるのも現実である。

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 病気で苦しんだり、つらいめにあったり悲しい目にあわないと、人はやさしさに欠ける面があるような気がする。うわべの言葉のやさしさとは違うので、気がつかないものなのだと思う。それはしょうがない面もある。心の中でいっぱい泣かないと、やさしさに気づかないものなのかもしれない。

 自分はどうだろう。子どもの頃はとにかくいじめられっ子で泣き虫だったが、泣きながら冷静に周囲を見ている、覚めた目線ももっていたのがいやらしい性格だ・・あまりしゃべらない子でもあったので、人の話を聞きながら、じっと見ている不気味さもあったようだ。いざとなると噛み付く武器もあった。今もそうだが、人の心の本音に興味があった。何故人は正直でないのだろう?子どもの頃からの疑問だった。大人からすると可愛くない子どもだったのである。


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日曜子どもコース、ゲストあり [将棋教室]

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子ども教室の合間に記念撮影をする。

 今日は午前中「子ども日曜コースA」で、22名出席だった。私が指導対局で、西田二段と千田1級が助手である。(阪上2級は休み)成績表に白黒のスタンプでなくて、奇妙な○と×が書いてあるので、聞くと西田二段だった。なまずの生えたような字でもある。

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西田二段書、字でなく暗号に近い!

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森七段書、あまり変わらないかなあ?

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阪上2級書 まあこれが普通の字なのだ

 昔から弟子の書く字を見ると、①きちんとていねい②普通③なまずのような汚い字のどれかに分類される。私は②の下で③にはいかない?レベルであるようだ。

 途中で、宮崎からのYさん一行が見学に来られたが、ごったがえしていたのでびっくりされたかもしれない。元気印と騒がしいのは紙一重なのである・・誰がいてもペースが変わらないのが、私の教室の特徴であるが、もう少し今日は特別にいい子でいるとかであってもいいのだが、私が無頓着なせいもあるのだろうなあ。

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 将棋の成績も元気のある子とそうでない子がごっちゃだが、よく勝つ子も負ける子も平等なのがいいところでもある。身びいきも同情もしないのが私の方針である。但し、なかなか上達しない子の将棋ほど、チェックしているつもりだが、結局、家でひとりで将棋と向き合う時間がないと難しい。無理はしなくていいが、ほんの数分でもノルマになればいいのになあと思う。相手がいなくても、将棋の勉強はひとりで充分できる。

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 午後からは「日曜コースB」だった。数名が欠席だったので9名出席だった。早めの時間に、宮崎からの一行のEMIさんとTABO君、I君とM先生、西田二段と千田1級の指導対局を受けてもらう。何でも実地の体験ががいちばんだ。私も宮崎の三股道場はとっても興味があって、いつか見学したいなあと思っている。

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日曜コースB、ゲストも参加です。

 途中で、手塚治虫館まで車で送って、一行とお別れをした。支部大会の方は残念な結果だったみたいだが、宝塚までお越しいただいてご苦労様でした。

 今日の皐月賞は、私は三連単のボックス買いだったが、完敗だった。妻は連単を買ったみたいだが惜しかったようだ。胸を張られるが、しょうがないなあ・・勝負事は何かがかみ合わないと(それが実力と運だろうか)いい結果がでないものだ。ひらめきだろうか、しぶとさだろうか、運の強さだろうか、何らかの武器が必要なのだ・・

 


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土曜教室 [将棋教室]

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部屋も教室もごった返し?状態である

 今日は子ども土曜コースで、欠席が多くて18名出席だった。今日は静かかなと思ったら、そうでもない・・①挨拶をきちんとする②対局中はしゃべらない③駒は桝目にきちんと並べる、口をすっぱくしてもなかなかであるが、子どもには根気よく向き合うしかないような気がする。子どもパワーに負けてはいけないのだ?

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 叱るのと諭すのと、説明するのと意志を伝えるのは、似ているようで微妙な違いがあって迷うのだ。私は本来は叱るのが苦手で、割と好き放題させるが、急所は子どもたりといえども譲らない精神である。きつそうで甘い、甘そうできつい、そのどちらも当たっているだろう。(前者が7割か?)要は指導する立場の私のことよりも、子ども達自身が実りがあることを望む。ひとことで言うと「自分を大事にしてほしい」に尽きる。

 午後は「土曜教室」で、近頃は4時を過ぎると将棋を指すエネルギーが半減してバテ気味、それにお腹が空き気味で困る。それだけ仕事熱心ということだが?将棋を指してバテるようになるとは、信じられない。これではあかん。

 以前、10秒将棋で一日百番勝負をN六段とやったことがあるが、さすがに無理だった。80番くらいでダウンした。腕が痛くなり、頭が朦朧とする。N六段は「もう終わりですか?」とまだファイティングポーズでやる気満々だった。成績はほぼ指し分けだった。

 将棋に夢中だった子どもの頃(小学5年~6年で7級くらいの棋力だった)につけていた成績表を見ると、ほぼ週に4日で、一日10番くらいが多くて年間で550勝450敗くらいの成績だった。(超早指しの口の悪いおっちゃん連中相手だが)負けた将棋はきちんとノートにメモしている。このあたりは偉いなあと思う?そしてその当時から詰め将棋を作るのが好きで、年間100題をノルマにしていたようだ。(内容に関係なく作るのが好きだったのだ)

 今は世の中全体が、勝ち組負け組の要素があって、勝ち負けの意識が強くなった分、楽しむことが薄らいでいるかもしれない。負けてしまえば意味が無い、その価値観が蔓延しているせいだろうか。勝ち志向が価値観なのである。どこかつまらないものがあるが、そうも言っていられないのが実状なのだろう。

 参加することに意義がある、昔はこういう言葉が生きていた・・何故こうなったのかはわからないが、少なくとも自分が負け組だけにはなりたくない、そんな意識が一般的になっていて、そこからの生活設計が多いのではないだろうか。人間社会が変わって、こういうシステムを打ち砕くような感性があればいいのになあと思うが、夢だろうなあ。意味のないたわごとなのだろう。

 そういう自分が、アクセクとあれこれ考える筆頭かもしれない。私の心の奥をのぞくと、心配とあきらめと楽観と無知と居直りと不安とのんびりが入り混じった精神である。要するに混迷しながら(但し妙に動じない精神がまれにある)アタフタしながら、いじけながらも、急所は噛み付いて離さないで・・いようとしているのだ。やっぱり不気味だった子どもの頃と変わってはしない・・このまま人生をまっとうするのだろう。

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☆明日は皐月賞である。

 予想(今回も水の泡か)

三連単ボックス=⑥キャプテントゥーレ ⑧ダンツウィニング

           ⑩ブラックシェル  ⑭ノットアローン 

           ⑰フロテーション  

    


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子ども教室 [将棋教室]

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昼休みに源さんを外に出す

 今日は午前中「子ども日曜コースA」だった。春休み最後の日曜日で欠席も多かったが、元気よく始まった?四月初めての教室だった。指導対局をしていて、子ども達に勝ちのパターンを覚えさすようにやってみた。やはり中終盤の寄せが肝心のように思う。子どもの将棋は攻めがいちばんだ。

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★将棋教室の写真はルンルン撮影

 今朝は弟子が3人宿泊だったので、朝、庭の草むしりをさせる。その後で子ども教室の準備だ。夕方まで残ってそれぞれ帰って行った。これから弟子を家に呼ぶのを増やそうと思っている。最近はどこか半分、師弟もろともの心境もある。奨励会の弟子がもたついていると、歯がゆい半面、自分の手落ちのような気分にもなる面があるのだ。これから数年は気が重いが、師匠としての正念場でもあるのだろうなあ。早く少しは楽な気持ちにしてほしいものだが・・

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指導対局、少し疲れ気味です

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 午後からは「日曜コースB」でこちらも見学1名で、私は途中でバテ気味だった。中級以上になると、何かのきっかけで上達するものだ。必要なものは、案外、執念深さなのかもしれないと思う。苔の一念みたいなものだ。野球でいうと球に食いついていく根性か。将棋は格闘技のような面も大きい。

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 将棋教室が終わって、すぐにテレビで競馬を見る。産経大阪杯だが、ダイワスカーレットが見事な勝ちっぷりで、言葉を飲み込んでしまう。私の買ったのは見ごとにはずれで、⑧エイシンデビュティをはずしていた・・それにしてもダイワスカッレートの強さはすごかった。

 ぐるぐる写真館=写真撮影 ルンルン (編集 森 信雄)

 いい写真ばかりなので、競馬ファンでなくとも見とれてしまうでしょうね。ダイワスカーレットをまじかで見られて妻は感激!勝負の世界はやはりヒーロー(ヒロインだが)の存在が大きいなあと思う。

 春休みも終わり、いよいよ新学期が始まる。


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春休み子ども特訓コース [将棋教室]

 

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撮影 ルンルン

 今日は「春休み特訓コース」の日で、朝から指導対局ばかりだった。千田1級、阪上2級、来海4級と私が講師で、13名(定員12名)の子どもを特訓するシステムだ。5分切れ30秒(有段者は10分切れ30秒)なので、直感のみが頼みになる将棋である。将棋は第一感で浮かぶ手が、案外実力のバロメーターであり、ほとんどの場合考えてもいい手が浮かぶわけではない。

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 考えるには素地が必要で、基礎の間は、習うより慣れろである。駒をいじるのが大切で(今はネット将棋しか知らない人もいて、家に盤駒がないケースも多いらしい)手の感触が大きい。何でもそうだが、頭でっかちは冴えないのだ。私はほとんどのことで体験論者で、自分が身を持って(痛い目に合わないと)経験しないと信用しない。噂の噂、噂が噂を呼ぶ類のものは、かなり疑問府をつける。

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先日の奨励会で昇級した千田1級の指導対局

 子ども教室の子でも、将棋を指す時間が少ないので、痛い目に合って覚える体験がなさすぎる。頭の中のひとつの失敗よりも、99の手痛い負けがいいのだ。負ける数ほど幸せになる?(そんなことはないか)将棋はかなり体験モノで、初級者なら定跡を覚えるの前に、100局くらい対局をこなすのが必要だ。その中でレベルが低くとも「確実に身についたもの」が大きな武器となる。裏を返せば、頭で理解するのと、体で感じるのとは違うのだ。

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 午後からも「特訓コース」で人数は少なかったが、指導する側も子どもたちもヘトヘトである。当たらないパンチを繰り出す15ランウンドの戦いみたいなものだ。但しこうなると生徒でなく講師がめっきり強いのは当たり前なのだ。今日一日で40~50局は指しただろうか。講師陣は全く疲れない。

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 夕食の後でHIROに行った。うどんでは物足りなかったので「トースト」を注文した。昨日U七段に「森先生のところはよく外食しますね」呆れたような?表情で聞かれたが「妻がずっと風邪気味なので・・」と答えつつ、(家だと納豆ごはんが多いからなあ?)やはり家で食べていた方が、体にははるかに健全であるのだ。実際に私は本当は弁当が苦手で・・そりゃそうだ。独り住まいで20年間ぐらい弁当を食べ続けてきたのだから。外食ばかりのときは、日々店をローテーションで変えていたが、それでもゲンナリだった。いくらおいしくても続くと無理がある。家で自炊するとまずい味噌汁と野菜炒め(カレーとシチューとオデンも作ったが)しかない暮らしだった。

 当時は酸性体質で、対局のときも夕方までは体もだるくて頭がボンヤリしていた。今は頭はボンヤリしていないが、気力と棋力と根性がなくなった・・

 特訓教室が終わり、3月もあと二日である。明日は一門研究会と、父兄懇親会がある。週末は遊びにも行けず何となくもの足りないが、もう少しで花見の季節になるのだなあ。ちょぴりさみしい春である・・

 


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土曜教室 [将棋教室]

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昨日の朝の大阪駅の環状線ホーム、ごったがえしている

 今日は「子ども土曜コース」だった。手伝いが大石三段、阪上2級に藤原1級の3人だった。早朝から藤原1級に、子ども教室の準備をさせる。今までほとんどの弟子に手伝いをさせたが、その経験は大きいと思う。

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 3月4月の教室は、例年、退会、休会と新入会が入り混じる季節である。長年通ってくれた子が来なくなるのはさみしいが、このシーズンは仕方がない。また将棋をやりたいときに向き合ってくれたらうれしい。もう何人の子どもと関わっただろう。

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 ときどき道で声をかけられるが、こちらは縮んでいくのに、子ども達は大きくなるのでわからないこともある。電車で声をかけられてびっくりすることもある。いつかどこかで会う楽しみは、子ども将棋教室ならではのものかもしれない。

 午前中、妻がピアノのレッスンも休んで病院に行ったが、芳しくないようだ。いつもの風邪薬に、もうひとつ薬を加えてもらったらしい。こじらせているみたいだが、休んでいる。そのせいで、子どもがいつもより騒がしい。普段は、私が頼んでいるのもあるが、妻のにらみが大きいのだ?

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 昼食は私が作っていたカレーライスだ。ご飯は4合炊いて、4人分ぴったりだった。

 午後からは「土曜教室」だった。私はいつも三面指しだが、終わる頃は少しフラフラだった。まだ教室は明日もあるのだが、やはり3連投はきつい。(こんなことをいうとバチがあたりそうだが)終わってからいつも通り「キヨ」に行く。

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 夕食は阪上2級、藤原1級を連れて、ラーメン「桂」に行く。いつも道を通るたびに、お客さんが入っていないかなと気になって覗くラーメン屋さんだ。年配のご主人と奥さんでやっているのだが、何と奥さんのほうがラーメン担当で、ご主人は接待とギョーザー係りなのである。

 ちょうどテレビの画面でチベット、ラサの暴動のニュースが流れていた。10人死亡(もっと死者が多い情報もある)「北京のオリンピックもあぶないなあ」とご主人。各国からの中国に対する弾圧抑制へのコメントも流れていた。悲しいニュースである。

 それから捕鯨のニュースなどなど、日々の出来事はとりつくしまもなく、事件が報道される。

 妻が、まだ鼻声だが、少し回復のきざしがあるみたいでよかった。週明けまでには治したいのだが、どうなるだろうか・・

<追記>

 チベットの抗議行動(暴動ではない)の件で、藤原新也さんのブログを読んで、何となく想像していた推移のような気がしてきた。今朝の新聞では、政治とオリンピックは別という各国の表明のニュースが流れている。心配である・・

 


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日曜子ども教室 [将棋教室]

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 大盤解説 
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 今日も子ども将棋教室だった。午前中は日曜コースAで、手伝いは阪上善隆2級に先月から加わった竹内大悟二段だ。出席の子どもに順番に全員の詰め将棋のプリントを渡すようにさせて、まずは子ども達の名前を覚えるように言った。実は私は人の名前を覚えるのは大の苦手で、いつも苦戦する。(記憶力が衰えた・・年齢もあるのだろうなあ)


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 大盤解説で子どもを指名して当てるときに、ハタと度忘れすることがあるのだ。昔、新宿将棋センターの金田さんにお会いしたとき、「将棋センターで働ける条件の第1歩は、一度でも来たお客さんの名前を覚えることですね」と聞いて、私は無理だなあと思ったことがある。


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 子ども教室の問い合わせなどの電話があったとき私が答えると、後で妻に「そんな無愛想な応対では来たい人も来ないよ」と言われる。そうだろうなあ・・。過去を遡って弟子を見ていると、意外にしっかりしていたのが山崎七段、安用寺五段だった。そしてこの仕事がこなせないのは、たいていダメである。ダメなパターンは心ここにあらずで、子どもに将棋を教えるのは自分の将棋にプラスにならないからやりたくない、そんな気持ちがミエミエの弟子である。


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 一見、自分のプラスにならないことをさせると、人間の器がわかるというのか、割と本音が見えてくる。損得の感情しかないのは結局アカンのだ。遠回りする感覚、目先の技術よりも、下積みの鍛えだろうか。


 小手先の器用さはすぐにばれるものだ。合理的なものが優先してきた時代のツケが回っているのか、今は世の中全体に底の浅さを感じる。価値観や好み、そういってしまえば元も子もない(別にそれでもいいのだが)難しい時代である・・


 時間をかけて育てる、そんな風潮が薄いのかもしれない。結果良ければすべてよし、しかも大衆は(古い表現だ)何でもすぐに飽きるし、次から次からに新ネタに飛びつく。 


 何かあると正義感みたいな理屈が作動して、魔女狩りのムードができてしまう。怖い時代である。金銭を消費(浪費?)する土壌はいっぱいあるのに、金銭を稼ぐ経済機能は益々低下して、収支がアンバランスな社会になってきたように思う。(一般的な話である)新格差社会だろうか。もっときちんと今の時代を分析する評論家はいないのだろうか。


 ものごとが澱むのは、必ず正義や道徳を振りかざす、正義の使者がいるせいである?きちんとすることと、大雑把でもいいところの見極めが大事だと思うが、今はどこかその判断が逆が多いように思えてならない。


 あまりにも真面目な部分が、私にはどっちでもいいように思えるし、どうでもよくて無視されているような小さなことが、どれだけ大事なことか、そう思うことが多い。
 

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 こういうのを、生きる時代を間違えたともいうのかもしれない。私は明らかに古いタイプの人間で、今の時代の価値観にあわせるのは無理だと自覚している面もある。だから少々のことに驚かないのかもしれない。


 もともと子どもの頃からタイムマシンで過去に遡りたい願望が強いのだ。未来に行くほど絶望的に興味が無い。これはつらいというよりも困ったなという感覚である。便利になどなってほしくないのだ。不便でも少々のんびりした社会がいいなあ・・

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 子ども教室の話から脱線したが、午後からは「日曜コースB」だった。今日は指導対局の将棋をカメラに収めて、(いつもスグに忘れる)あれこれ考えた。


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 子ども教室の片づけが終わってから、阪神競馬11Rを見る。妻に馬券を買ってきてもらっていたが、G1レース以外で、家のテレビで競馬を見るのは初めてだった。結果はあっさり本命が入り、私の馬券は全部はずした。
ルンルンは当てたようだが、本命なので配当は安かったようだ。3着の馬も予想に入っているのに、惜しかった。あまりいうと文句を言われるのでお終い。




 


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子どもの指導 [将棋教室]

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(撮影 ルンルン)

 今日は午前中「子ども土曜コース」だった。昨日からいろいろ準備するのだが、月初めは作業も多い。数日前に子ども教室の会報を送ったが、春休み特訓教室や、4月からの土曜特別コースなど、私にしては?力が入っている。

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 今日は大石三段が休みで、千田2級が代役




 10数年前に宝塚に引っ越してきたとき、近所の人から「子どもに将棋を教えてくれませんか」と妻を通じて言われたとき、正直(面倒臭いなあ・・子ども相手は苦手だからなあ)と尻ごみしていたものだった。教室は弟子にやらせばいいか、くらいに気軽な気持ちで引き受けたのだ。なるべく人数が増えないように・・そんな不謹慎なスタートだった。

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盤面に集中

 指導も運営も弟子に任せていたので、子どもはこっぴどく負かされて、将棋を見るのもイヤ、そんな子もいたようだ。それから数年たって、何かのきっかけで、弟子に任さずに、私自身が直接指導してみよう、入門者や初心者をしっかり教えてみようか、と思ったのだ。不思議なもので、そう思うとかえって、指導の難しさにぶち当たる。将棋を教えるのは無理かなあ・・向いていないなあ・・と思ったりした。


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 甘い気持ちは吹っ飛んだが、逆に大きなテーマができた。「将棋をきちんと教えるマニュアル」に挑戦してみようと思った。入門書を見たり、囲碁教室などを見学したり、あれこれ探ったが、ひとつの結論は「まずはきちんと体験しないと掴めない」とわかったのだった。指導するのに将棋の強さは武器にもなるが、棋力が邪魔をして弱い人の心理や気持ちが見えないことも大いにある、諸刃の剣なのだ。
 また、子どもに威張ってもしょうがないが、媚びてもだめなのだ。きちんと指導すること、言葉にするとこれに尽きる。

 
 教えるというのも種類があって、①答を教えるのは指導者が楽だ②質問の意味がわからないのと、答えがわからないのとでは全然違う③相手が理解できるように教えようとすると、益々混乱する④わからない内容には大きな幅がある⑤知ることから身に付くまでは、教える側に根気と執念がいる、こんな感じだろうか。
 こう書きつつ、実は私も何もわかっていないのである・・歯がゆいが痛感する。


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 これは将棋に限らないが、伸びを止めるのは、案外「知ったかぶり」「実際にわかっていない」このどちらかである。両方を備えていると、悩みは深刻だ。まずは自分が「たいしてわかっていない未熟だ」「しったかぶりを止める」ことだ、そして一番大事なのは、「よそみをしない」「恥を書く勇気を持とう」ということだろうか。子ども教室の子どもたちよりも、何だか弟子一般に感じている冴えなさと通じている?・・
 「好きこそものの上手なれ、ですね」T君が見学の子どもに、激励の言葉を交わして帰っていった。私よりもいいことを言ってくれるなあ。


 午後からはいつものように「土曜教室」だったが、昼休みに居眠りをして、開始時間を過ぎてしまった!

 将棋は根気のいるゲームだなあと思う。用心しながらも冷静に、階段を一歩一歩上り下りしていく。決して三段とびはいけないが、立ち止まってもいけないのだ。

 急所は「すこしづつでもいい、わかったことを確実に身につけること」と思う。

 
 


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きょうも、子ども教室 [将棋教室]

 

 午前中は、子ども日曜コースAだった。欠席が多くて16名出席だった。静かなままでいけるかなと思ったが、途中から崩れる。妻にも写真と雰囲気をみてもらっていたが、カミナリが落ちた。どちらかいうと学年の上の子の方が冴えないのは困ったものだ。私は将棋を教えるのは好きだが、叱るのは本来苦手である。でも教室の雰囲気を保つにはしょうがない。早く、将棋に熱中モードになってほしい。

 

 そろそろ卒業や進級のシーズンで、子ども教室も減ったり増えたりする時期となる。長く通ってくれた子が辞めるのは、さみしいものだ。でも、また何年かして、どこかでバッタリ会ったり、いつか将棋を指すことを復活する日もあるだろう。自然に流れるままの選択がいいなあと思う。

 将棋を始めて、指せるようになって、面白くなる。この間の時期の指導法が難しい。楽しさと上達は必ずしも正比例ではないが、密接な関係にあるものだ。上達だけが目的ではないが、上達の方向にむかって取り組むことによって、楽しさも倍増する面もある。今の子ども達の特徴(弱点)は「おしゃべり」である。おしゃべりをやめて、きちんと将棋を指す、また考えて話すようにすれば、将棋も人間も強くなるだろうと思うのだが、どうだろうか?沈黙に耐える精神力が大事なのである。

 午後からは日曜コースBで、こちらも欠席が多くて8名出席だった。指導対局もじっくり指せたが、中盤での急所の局面でやはり間違えることが多い。どこを指摘すればいいのか、一局の敗因もそうだが、総合的なアドバイスを兼ねるのがいい。おそらく「漠然とした読み」から「明快な確信の読み」の間を入ったり来たりしているのである。大事なことは、知っていることでなくて「テクニックとして使える」ことだろう。知識でなくて、習性、日課みたいなものである。

 子ども教室が終わり、ぐったりする。しばらく休んで、外食で「源ぺい」にいく。焼き鳥、寿司、ちゃんこ鍋を注文した。メニューにきりたんぽ鍋もあった。それからHIROにも行く。いつもスポーツ紙を見るのだが、S誌の勝浦修九段の詰め将棋が楽しみなのである。私の好きな先輩棋士で、以前東京によくいた頃は飲みに連れていってもらって、随分お世話になっている。賀状にそれを書いたら「最近は創作も苦戦です」とコメントにあった。勝浦九段は盤を使わないで、創作する。私も真似たことがあったが、無理だった。毎日の出題なのに好作ぞろいで凄い。

 源さんは卵を産んでから、すっかり変身した。母親の本能が強いのだ。サークルで砂を蹴飛ばして私を呼ぶので行くと、「卵を見ていてよ」と言わんばかりに食事を始める。私を呼んで卵の見張りをさせているのだ。それからときどき外に出すのだが、意地悪して(これは卵を産まさないための手段でもあるらしい)サークルから気をそらさそうとするが、突如ジャンプした!飛べない源さんが60センチくらい飛び上がってサークルに戻ろうとするのだ。けなげな姿を見ると、さすがにサークルに入れてやるしかないのだった。

 私にも見向きもしなくなって、サークルと卵に集中している。これからどうすればいいのか?妻がしきりにネットで調べてくれたが、大変である。そもそも源さんはオスとばかり思っていたのだから・・私が腕の中に入れたり、添い寝したのも、すべて愛情表現となってまずいらしいのだ。元の源さんに戻るかなあ・・


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将棋教室、雪の一日 [将棋教室]

 

 今朝は雪が残っていて、それでも直ぐに溶けるかなと思っていたら、逆に吹雪き出して、昼間はすっかり銀世界となった。子ども教室があったので、「走らないでゆっくり帰るんやで」と念を押す。

 午後からの土曜教室のときも吹雪いて、ますます積もってきた。雪だるまが作れそうな量だが、地面の凍結が心配になる。教室の後の喫茶店でも「バスが止まってしまって、帰れないから、実家の方に泊まリますわ」とMさん。タクシーもストップなのだ。理由は他の車の巻き添え事故が怖いかららしい。「今日は入試だったので、一日ずれてよかった・・」

 夜は、明日の「飛び駒会」のテキストを作成して、ミニコープに行っただけなのに、ひどく疲れた。


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