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淡路島 灘黒岩水仙郷 [写真日記]

 

 きょうはふたりともオフなので、早起きして、淡路島の灘黒岩水仙郷に行く。8時過ぎに出発して、中国道、7号神戸線、神戸淡路鳴門道を経由して2時間あまりで着いた。団体客も多くて、寒いながらも賑わっている。

沼島が見える

 水仙の香りを吸い込みながら、急斜面を上っていく。年配の人も多いので、ばてると恥ずかしいのだ。「夫婦連れが多いなあ。どちらが誘うのだろう?」カメラの同好会のメンバーもいて、大きなカメラを持ってワイワイ話し合っている。

 

 上まで登ると、さすがに風当たりもきつくて、ふるえそうだ。狭いところで寄りそっているカップルが、撮影の邪魔?になった。今日はまだましな方で、人数が多くなると、写真を撮るのも大変なのだ。私は人のいないところを選んで撮ることが多い。並んだり、人と同じシーンは苦手なのである。横着して、これでいいや、そんな感じになってしまう。

 沼島が眼前に見える。旅の仙人の水津さんが亡くなる前に「沼島は日本誕生の地で、是非行きたいですわ」でも結局行けなかった。それで亡くなってから、妻と沼島に行ったのだ。胸が熱くなる・・

 黒岩水仙郷のレストランで、水仙うどんの昼食にした。最近は素直にご当地のものを食べることが多い。決してカレーライスを食べてはいけない?

 そこから、立川水仙郷に行くことにした。謎のパラダイス?である。妻のたっての希望である(了承を求めるとクレームがついた)

 2年前と同じで、入り口で怪しげなおばあさんが「ひとり500円です。水仙饅頭をどうぞ」と案内してくれる。下へ下へと急な坂道を車で下っていく。

 水仙はきれいで、真っ白な水仙が咲き誇っていた。何故か、女性だけのグループも来ていて、「キャッーすごいわ」と言いながら資料館に入っていった。いわゆる昔の観光地のあちこちで見られた秘宝館である。それが半端でない資料の揃い方なのだ。もちろん18歳未満は立ち入り禁止である。2年前に知らずに来たときは、唖然として困った。

 土産物を見ていると、おばあさんがいろいろ説明してくれる。「このお茶はいいですよ。お嬢さんならこの飾り物が・・そうそう最近はうちもお酒も減らそうと思ってるんやけどねえ」よくわからない・・つぶやきである。しかしどこか味のある雰囲気で、ノスタルジアの世界なのだ。

 一宮にある温泉「パルシェ」に行くことにした。少し道を間違えたが、ここまで来たからには行かないわけにいかない。遠回りしたが無事着いた。香りの湯というだけあって、ハーブの香りがよかった。(実際は私は鼻が効かない?)露天風呂に日が差し込んで、気持ちがよかった。お湯につかっているのは最高の贅沢だ。

 帰りも神戸淡路鳴門道に乗って、PAで一眠りして、帰宅する。何故か中国道で宝塚を乗り過ごして池田まで行って引き返すハメになる。それでも5時半過ぎに帰れた。

明石海峡大橋


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動物霊園の散策 [写真日記]

 

私がパソコンに向かうと、源さんがやってきて、足元でいつもこんなふうにペッタンコになるのだ。

 今日は久しぶりに何もない日だった。今月はずっとフラフラと流されるような日々だったが、あまり考えないでこなしている。あれこれ思考を停止したわけでないが、世の中の流れが苦手な方向に向かっているのをヒシヒシと感じて、そして身辺整理をしているような気持ちも少しあるのだろうか。

清荒神駅前

参道の佃煮屋さん

今は蝋梅の匂いがすごい

 ピアノのレッスンが始まるまでに、どこか歩こうかという話になって、清荒神駅から川面街道に出て、そこから御殿山方面に向かう。途中から坂道になる。以前は息子の中学校、高校もあったので、たまに呼び出されたのだった?そこから動物霊園に行くことにした。次第に見晴らしがよくなってくる。

 霊園に着くと、すぐに猫が寄ってきた。その後もゾロリと、太った、それでいて鋭い目つきの猫たちが、迎えてくれる。動物霊園にはお墓がいっぱいあって、それぞれに可愛がっていた動物達への愛情が伝わってくる・・(ひょっとしたら、人間のお墓よりもいいかなあと思えるのもあるのだ)

共同霊園

 

 動物は死ぬと可愛そうだから、飼わないという人もいるみたいだ。それぞれの考えだろうが、私は例え、一日しか生きないとしても飼いたいと思うタイプだ。明日は明日の風が吹くわい・・先を読みすぎてもしょうがない。

 また坂道を下り、買い物をして帰宅した。久しぶりの散歩で足がカチカチだ。トビオとクロのサークル、源さんのサークルを掃除したら、急に居眠りする。ピアノの生徒がお母さんに連れられて来たようだ。「すみません。将棋教室のチラシを下さい」あわてて探すと、数年前のしかない。これじゃあダメだなあ・・

 夕方から「子ども教室の会報」とチラシを作成しなおした。夜はHIROに行き、休憩をした後で、会報を印刷する。発送の準備もして、ひと仕事終わった。


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李政美コンサート [写真日記]

 

李政美さんコンサート 亀岡市ガレリア亀岡響ホール 2008,1,27

 きょうはあわただしい一日だった。午前中、伊丹子ども教室だったが、用事のために坪井4級に代わってもらう。こういう日に限って、見学の子が2名いた。9時半過ぎに急いで帰宅して、弟子の「旅行者研究会」を始める。前日が奨励会の例会で、一門研究会は開けないので、少人数の旅行者対象の研究会にしたのだ。

京都府亀岡市

 10時に始めて、これも弟子に任す。しばらくして、京都の亀岡に向かう。池田市の423号線で亀岡まで1時間あまりで着くが、雪がちらついて不安ではあった。(雪用でなくて普通のタイヤだから)峠を越えるとき、雪が少し残っていたが、思ったよりは心配無用だったのでほっとした。このコースは何度か通っていて、少し早めに着いたので、円山応挙が幼い頃に絵の修業をしたという金剛寺に立ち寄った。

金剛寺

古い屋敷

 亀岡市のガレリア亀岡響ホールにも早く着いて、レストランに入り、バイキングの昼食にした。それからホールに行くと、早くも姜さんが受付におられたので、挨拶をした後で、温泉に入ることにした。外が冷え込んでいるので、ちょうどよい。

ガレリア亀岡

 温泉を出てお茶を飲んでいると、綾部組?の95さんと出会う。みなさん一緒に来られたようだった。

 李政美さんのコンサートは初めてだった。初めに、今日の世話人でもある姜さんの挨拶から始まる。純朴な姜さんらしい出だしだった。李政美さんは、自然に胸に響いてくるような透き通った声だ。合間の語りも、ゆったりとして、正直で丁寧だった。(全く関係ないが、実は私は明日、講演の仕事がある)

姜さんの挨拶

 初めて聞く曲ばかりだったが、日本語と韓国語を交えた曲もあって、独特の李政美さんの世界を堪能させてもらった。隣で演奏されているギターの矢野さんも、ユーモラスな方で、ポツリとつぶやくのがいい味だ。

サイン会

 コンサートが終わり、姜さんが「きょうはありがとうございました」と挨拶したが、まだアンコールが残っているハプニングもよかった。手作りのコンサートらしいほのぼのとしたムードだった。

 打ち上げは近くの中華の店だった。結局24名くらい集まって、食事しながら主賓の李政美さんとギターの矢野敏広さんを囲んで楽しい語らいが始まった。途中から矢野さんのギターでの語りと、(懐かしいフォークソングがいっぱい)そして、なんと李政美さんのアンコールの続きがあって、生で歌声を聞かせていただいた。

打ち上げ

 挨拶のとき知ったが、おふたりとも漫画「聖」を読んでおられたのにもビックリした。握手と記念撮影をしてもらう。

李政美さんと記念撮影

ギターの矢野敏広さん

感無量の姜さん?

中華料理店のマスターのリクエスト曲

帰りはすっかり遅くなったが、423号線は車も少なくて、のんびり帰れた。楽しい一日をすごさせてもらって、よかった・・


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一心寺~新世界 [写真日記]

 

 大阪の天王寺にある一心寺、水津さんの納骨から一年になる。昨年の命日には行けなかったので、今日は行こうと決めていた。早めの昼食を済ませ、妻がK歯科から帰ってきてすぐに出かける。小雨日和だが。これ以上は崩れないだろうと読んだ。

 天王寺から歩いて一心寺に向かう。一心寺シアターは劇団コーロの「聖の青春」があったところでもある。新三千佛堂に入り、ローソクとお線香を買って回ることにした。「線香を1本づつ置いておけば一周して少しお線香が余ります」

死のうと思う日はないが 生きてゆく力がなくなることがある

そんなときお寺を訪ね わたしはひとり 佛陀の前に座ってくる

力わき明日を思う心が 出てくるまで座ってくる

(浜村真民の詩「生きていく力がなくなるとき」より)  一心寺パンフレットより抜粋

 一心寺への参拝の人は多かった。今日も納骨の遺族が多いようだった。昨年のことを思い出していた・・もう一年経ったのだ。境内を回ると、昔からのお墓には「このお墓の所縁の方はご連絡下さい」の札がけっこうある。自分が死んだらどこのお墓に入るか、そんなことを考える年になってきた。「一心寺がいいなあ」妻がつぶやいた。「いろんな人がいっぱい来ているからにぎやかがでいい・・」「そうやなあ・・」一心寺は水津さんの納骨がある前から、わたしの好きなお寺だったので、何度も来たことがある。無縁仏を受け入れてくれる、そんな懐の深さと庶民的な、なじみやすさだろうか。芸人のお墓もいっぱいあるのも納得だ。

”十年間のご納骨をもって一体のお骨佛さまが造立されます。次期開眼は平成29年。第14体目。毎年4月に前年度ご納骨の各家にご案内して、定例納骨回向大法要を開筵いたします。”    一心寺パンフレットより

 一心寺を出て、昨年と同じ様に、新世界方面に向かう。通天閣がどこからも見える。動物園に沿って散策していると、大衆演劇「浪速クラブ」の劇場があった。夕方からの部の整理券を勝手に持っていくようになっていた。ここからももちろん通天閣が目の前だ。古い洋画を上映している「新世界、国際会館」もある。地下は成人映画である。

 

 

 角を曲がるとお芝居の「朝日劇場」があった。ちょうど昼の部が終わったところで、入場口あたりはお客さんが数人の役者さんを取り囲んでいた。記念撮影やらサイン会やら、凄い熱気があった。

 通天閣の下を通り過ぎて、時間は早いが、串カツを食べることにする。キンギンギラギラの派手で大きな店が多くて、どこに入るか迷ってしまう。最近の傾向として、おばちゃんグループと意外に若いカップルが多いのだ。

 結局、「初代エビス」という店に入る。串かつ、お好み焼き、どて焼き、生ビール、などを注文する。店の中はだだっ広くて、数百人は入れそうだ。この界隈は、昔、私がオールナイト映画を見に通ったところだ。当時は将棋連盟が阿倍野にあって、私は住み込みの塾生で、優秀だったので?宿直の先生が、週末の夜だけ映画を見に行く許可をくれたのだった。昔の大映、東映映画が主だった。朝帰りして、街をテクテクと歩いて帰る。将棋漬けだったが、当時の数年間はそれだけが唯一の趣味だった。

 通天閣の周辺を回り、足が痛くなって、下の喫茶店に入る。ちょうど相撲の取り口の終わりころだったが「朝青龍負けへんかなあ」喫茶店の人がつぶやく。

 店を出て、JR新今宮まで歩く。この界隈はどこからも通天閣が見える。ライトアップして、ますますきれいだ。通天閣の界隈も人の流れが少しづずつ変遷しているようだ。それでもこの街を歩いていると、人の息吹が間じかにあって、縁台将棋の世界がまだまだ残っている場所なのである。

☆産経新聞の私のコラム、棋怒哀楽「鳩の源さん」です。どうぞご覧下さい。 


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震災の集い [写真日記]

 

 昨日は対局だった。棋王戦の予選で脇謙二八段戦で負け。私の三間飛車に脇八段の急戦で、意表を突かれたが、持ちこたえたと思ったが、結局押し切られた一局だった。序盤の雑さをとがめられた。「脇さんだから、負けてもいいやと思っていたでしょう」帰宅後に妻に鋭い指摘を受ける。「終わってお寿司をごちそうになったから」とわけのわからないことでごまかす。終盤はひょっとしたら逆転と思ったのだが・・足りなかったのだ。将棋は負けるとくたびれる。

 帰宅して、伊丹の昆陽池の「阪神淡路大震災追悼の集い」に出かける。例年は深夜に出かけるのだが、明日も予定があるのと、妻が風邪なので早めにした。ボランティアの学生や中学生がいて、元気な声で「記帳をお願いします。寄付もお願いします!」「ローソウを作って下さい」深夜と雰囲気が違う。

 ローソクのシンを貰い、10回くらい並んで手作りの小さなローソクが出来た。そのローソクを持って追悼の広場に立てる。昨年は小雨交じりで、ローソクの灯が消えかかっていた。「消したらあかん」小さな声でつぶやく声が印象に残っている。今年は寒さも穏やかだし、天気もいいので、澄み切った追悼の集いのローソクの光景だった。

 震災で亡くなった船越隆文君は、九州男児らしい風貌で、真面目で意思の強い子だった。弟子の中ではいちばん信頼できる人間だった。お母さんが出版された「棋士になりたい」の本は、月日が経つごとに、私にとっても貴重な財産になっている。自分が生きている間は、くじけるわけにいかないのだ。叱咤激励されているような気さえする。でも月日が経っても、やはり悲しく重い体験はつらいものである・・

 震災前のクリスマス、平成6年12月24日。在りし日の船越隆文君、17歳。私が弟子をこんな風に撮るのは滅多にないはずで、不思議な一枚でもある。アルバムを見ていると、震災前の1月12日にも船越君が家に来て撮った写真があった。今も、前日に玄関先で船越君と話した会話が蘇る・・

 


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正月の旅行 [写真日記]

  

琵琶湖を過ぎると雪景色だった

 1月4日~5日は、北陸の片山津温泉に正月の旅行に行って来た。私と妻と息子の幸士と野間五段の四人のメンバーで、昨年は中止だったが、ほぼ毎年恒例となっている。

☆1月4日

野間五段(弟弟子)と幸士(不肖の息子)

雲が山の下にある・・?

加賀温泉駅に着く

普通電車で「小松駅」に向かう

 

2両列車の車内

松井秀喜ベースボールミュージアムに行く

努力できることが才能だ!

6歳の夢

 

等身大の松井と記念撮影

 

 

 

ミュージアム全景

再び列車で加賀温泉駅に、そこからホテルのバスに乗る

今日の宿泊は「加賀観光ホテル」大きなホテルだった。

早く着いたので、外に出て散策する

白鷺がいた

古い街並だ

柴山潟の浮御堂

背景に白山が見えるらしいが、今日はだめだった。

愛染堂からのぞむ

野間五段は縁結び、幸士は厄払いしてもらう

温泉街の坂道

 夕食になった。いつも動けなくなるまで食べる。ごちそうと温泉が楽しみだ!時間をかけて・・野間五段。森家の住民は素早く食べて、早くグロッキーする。

 温泉は①夕食事前に入り、②深夜に入り③朝起きて入り④朝食の後に入った。夜はトランプをする。カブとインディアンポーカーとオールだ。

 旅の一日目が終わった。

 

 

 

 


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日帰りの同窓会 [写真日記]

 

 昨日は中学校の同窓会(松柏中学校、昭和42年卒業生)があり、日帰りで帰省した。10年ぶりだったが、40数名の参加で懐かしかった。名簿を見ながら、名前を確認したり「えーと、誰やったかなあ」と聞きあっている光景も面白かった。私はD組だったようで、次第に記憶が蘇ってくる。ほとんどが小学から中学まで一緒で、しかも卒業した後に中学校が統合されて無くなってしまったので、よけいに感慨深いのだ。校舎も学校も消えたのはさみしかった。

 ほとんどが地元に(愛媛県四国中央市)帰っているが、私のように外に出ているメンバーもいる。案外ベタベタしていないので、本当に10年ぶりか20年ぶりで会う同級生ばかりなのだ。

岡山駅のテレビの画面は「のだめ」だった

 電車で帰省するのは久しぶりだ。新幹線で新大阪から岡山に出る。正月の2日で混雑はすくなかったが、岡山駅が変貌していたのは驚いた。ただ以前の方が愛着があったので・・。岡山から特急「しおかぜ」で伊予三島まで1時間20分くらいだ。昔は宇野~高松の航路で1時間船に乗った。これも味わい深くていかにも四国に帰る情緒があった。

駅弁は岡山の「祭り寿司」を食べた

車が多いと思ったら、児島競艇場だった

 瀬戸大橋から見る風景は見ほれてしまう。但し高架の建材が邪魔をして、写真はうまく撮れないのがネックだ。四国に渡り車窓を見ていると、右手の海が見えなくなっているので驚いた。家がいっぱい建ったせいのようだ。伊予三島に近づくと、製紙工場独特のパルプのにおいがする。いつもこの匂いで帰ってきたのだなあと、毎年思っていた。

四国に着いた

伊予三島が近づいた。煙突の煙でしみじみと・・

 駅に甥の竜也が迎えに来てくれていたので、乗せてもらう。家の前で母が待っていた。久しぶりの正月の帰省でよほどうれしかったのだろう。

 母は時代劇が好きで、朝から晩まで「時代劇チャンネル」を見ている。そのためにテレビを買い換えたようなものだ。正月なので「宮本武蔵」をやっていた。私もコタツにもぐりこんで居眠りしながら見た。これから同窓会の間は、妻に母の相手を頼む・・感謝である。どちらも私の悪口が出ないか気にはなるが・・

 3時前になったので、少し早いが同窓会に出かける。港の方から散策しながら写真を撮っていった。三島神社にもお参りする。商店街も人はいないので静かだった。子どもの頃からよく歩いた道を通ることにした。ワンワンと吠えられる。新聞配達をしていたコースだが、こんな風に犬に吠えられるのがトラ馬になっている?のである。同窓会のある会館が見えてきた。空には煙突からの白い煙が立ち込めている。見慣れているようで、懐かしい風景でもある。

 こういうときは意外に照れくさくて、入りにくいものだ。数分の間、躊躇する。玄関で幹事の友達が迎えてくれた。懐かしい。受付を済ませて、談笑する。ようやく同窓会に来たのだなあと実感した。

☆<同窓会アルバム> スナップと記念撮影

 

受付

開会の挨拶

ワルだった?面影は消えないK君と、ヘアサロン経営のM君。以前は飲みに連れていってもらった。

弟子のH君の学校の先生のI君(驚いた!)大阪からきたM君

S君「10年前は森君とM君が独身で安心しとったのやけどなあ」

昔から男前のI君とKI君、変わりなく男前だなあ

おおらかかでやさしい雰囲気、今も同じだ

私と兄弟のような頭のN君と、ギターの先生K君

スポーツマンで人気者S君は、今もカッコいいなあ

科学や生物の得意な雰囲気がでているS君

幹事のI君、家にも送ってくれて、駅まで見送ってくれてありがとう。

 S君の奥さんの実家が、私の母の家から数軒隣で、昔、ばったり顔をあわせてびっくりしたことがある。

生徒会長だったH君は、今も精悍で弁も立つ?頼りがいがある。

温厚なI君にこやかです

人気者K君と、2年で転校してきて学年でトップクラスの成績優秀だったI君と、Oさん

よく一緒に勉強したK君

幹事の中締めの挨拶

帰りの伊予三島駅、I君が見送りに来てくれた。ありがとう。

今度の同窓会は還暦になる5年後かなあ・・楽しい時間だった。


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初詣 門戸厄神 [写真日記]

新年明けましておめでとうございます

 今年もよろしくお願いします      森 信雄

                              元旦

 朝8時半くらいに起きて、しばらくしてからおせちを食べる。今年は妻とふたりだけなので、静かな正月だ。ここ数年、年賀状が早く着くようで、郵便受けに朝刊と一緒に取りにいく。少し寒かったが、トビオ、クロ、源さんを玄関に出して正月の記念撮影と思ったが、全く足並みはそろわないで不発に終わる。

 午前中は年賀状をゆっくり見た。義弟親子が年賀に来たので、お茶を飲みながら雑談をする。要望があったので、源さんをサークルから出す。初めは警戒していたが、そのうち慣れてきたようだ。源さんも変わったものだ。すっかり仕事?をするようになった。

 午後は早めにおせちを食べて、門戸厄神に初詣に行くことにした。園田競馬の線もあったが、出遅れたのでおとなしく・・(清荒神は暮れにお参りしたので)

参道は次第に混んできた

 門戸厄神に行くのは、別に誰かが厄年とおいうわけではないのだが、今年は厄払いしていた方がいいような気がしたからだ。門戸厄神に初詣に行くのは、震災の翌年以来である。

東光寺(門戸厄神の正式お寺名)

線香のにおいが好きだ。体の悪いところに煙をあてがう。

 

境内は足の踏み場もない

 

人形も厄払いする

子どもがもっとも子どもらしい光景

はしまきを食べる(お好み焼きとタコ焼きの間)

駅から門戸厄神に向かう行列。畑が見える風情がいい。

  

 


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大晦日 [写真日記]

 

 昨晩トビオとクロのサークルの扉が故障して、急遽ペットショップに行く。閉じなくなってしまったので、しょうがない。新居を構えてやることにする。その後でピピアに印刷に行ったがすでに年内の業務は終わっていた。地下のコープに行き、来年の子ども教室(1月6日)のテキストをコピーする。大晦日まで雑務に追われる感じだが、いつも準備が遅いせいだ。

 昼食の後で、伊丹の昆陽池に渡り鳥を見に行くことにする。着いて見ると今年は昨年よりも、鴨の姿が少なかった。冬の到来が遅いせいだろうか、心配だ。ユリカモメにパンをあげる親子がいて、どっとユリカモメが押し寄せてくる。空中の餌を取るのはユリカモメの妙技なのだ。

 きょうは寒波の到来で一段と冷え込みが厳しいが、鳥たちは元気いっぱいだ。別の親子もユリカモメに餌を投げると、熱気ムンムンである。ユリカモメの襲来みたいに、激しく寄って来るのだった。

 帰宅して、妻はおせちの仕上げにかかる。私はリビングなどの掃除をして、正月の準備をする。

 おせちができたので、義父の家と、義弟の家に届ける。それから帰宅して、「きりたんぽ」鍋の夕食となった。「きりたんぽ」は秋田の名物で、「美味しんぼ」の漫画などで知っていたが、食べるのはもちろん初めてだ。

 「きりたんぽ」はお餅とご飯の合間みたいな気がした。出しは醤油味で、野菜はせり、長ネギ、舞茸、糸こんにゃく、鶏肉、ゴボウなどである。中に「だまこ餅」も入っていた。ふるさとの味わいで、野菜たっぷり冬の鍋の飽きない味である。なるほどこれが「きりたんぽ」か・・満足の鍋だった。

 お腹がいっぱいになって、少し休んでいると「紅白歌合戦」が始まった。年末のムードになってきた。

 今年ももう1時間を余すところとなったが、来年はどんな年になるだろう・・年々、何かが始まり何かが終わる、そんな体験を繰り返しながら、生きている現実の時間を過ごしているのだろうなあ。悔いのないように、そう思っていても、なかなか思うようにはいかないことの方が多いものだ。

 来年は、自分の背丈で、自然に無理なく、かつ自分に厳しく生きていきたい・・

 皆様よいお年をお迎え下さい。

 


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忘年会 [写真日記]

 

ナビオ阪急のところにいた鳩、源さんを思い出す?

 昨日(12月28日)は深夜3時半に帰宅する。忘年会の麻雀の後で、なかなかタクシーが捕まらなくて困った。何とか乗ったタクシーの人に聞くと、昨晩は梅田界隈は凄い混雑だったそうである。パトカーが止まっていたり、何かとあわただしい夜の街だった。私は久しぶりの麻雀で堪能した。昔はこういう日々だったなあと感慨深いものもある。もう体力がない・・

清荒神駅のポスター

大阪の梅田、阪急東通り商店街

まだ昼間なので人通りは少なかった

忘年会はこの道を渡って、どちらに行ったかな?麻雀は手前を右に行く。

 12時集合で脇八段、中田章道七段、浦野七段、それから後で矢倉六段、池崎さん(観戦記者)東七段で二卓に分かれて3人麻雀をする。私は完敗だった。平藤六段が5時頃に来て合流して、忘年会は6時からだった。

 

忘年会は「ちゃんこ鍋」だった。私がいるとカニやてっちりはせわしない?ので敬遠される傾向があるのだ?

渋い髭の中田章道七段。私の昔からの友人である。

奨励会も同期の長い付き合いの東和男七段。

東七段と同じ高島一門の脇謙二八段。今は奨励会の幹事で、私の不肖の弟子がお世話になっている。元気いっぱいの半そではすごい。

きょうも幹事役の浦野真彦七段。昔は私とセット、コンビの遊び仲間である。

剣豪のような独特の雰囲気がある平藤真吾六段

 目つきが鋭い矢倉規広六段、きょうは首を寝違えてつらそうだが、麻雀はしっかり完勝だった

 観戦記者の池崎和記さん。私と同年齢で、将棋界に入った頃からのお付き合いでもう何年になるだろう。麻雀はやくざっぽいが紳士です。

夜の阪急東通り商店街はすごい人混みだった

矢倉六段と平藤六段、これからカラオケだ。

池崎さんと東七段と私のベテラン組は麻雀だ

同門のふたり。東七段と脇八段、仲がよい。

 浦野七段はわざわざ麻雀荘まで案内してくれる(混んでいてなかなか空いていないので、電話で予約してくれた)中田七段は名古屋に帰る。

 2次会の麻雀は深夜2時半くらいまでして、今度は私のひとり勝ちだった。こんなに勝つのは珍しい。ご機嫌だがさすがにくたびれた。麻雀三昧である。

 車で帰ろうとして、梅田界隈はすでに乗っているタクシーか「予約車」ばかりで、全く捕まらない。一台もなかった。仕方ないので福島方面に歩いて行く。途中でようやくタクシーが捕まった。池崎さんを送って、東七段を福島でおろして(別方向なので他のタクシーに乗る)高速に乗ってようやく帰る。着くと3時半過ぎだった。

 今年もほぼ終わった・・


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