朝の日差しのトビオ、普段は目が悪いが都合のいいときはよく見える?(食べものや若い女性のとき)

 今日は(今日もか?)午前中、あれこれ整理したり、日曜日の弟子の「父兄懇親会」の準備をした。今回が初めての開催で、それだけ難しい時代になってきたのだろうなあと思う。弟子の活躍も不出来も、師匠の身に関わってくることだが、弟子からするとそうは思っていないだろうなあ・・

 私が師匠に弟子入りしたときは、南口門下が多くて(以降も奨励会受験者が多かった)特に私は影の薄い存在だったので、(すぐに退会のタイプとみられていたから)素人目には?気楽な感じだったろう。入会したときも、棋士を目指すというよりも、環境が変わってよかったのが本音だった。仕事を手伝いながらではあかん、そういう実感がしていたが、自分ひとりで飯は食えないし、将棋もなかなか結果が出なかった。

久しぶりに「のろ家」で早めの夕食

 奨励会入会から半年たって、ある日突然、お世話になった洋服屋を飛び出して、絶望しながら田舎に帰ることにした。そのときは奨励会を辞めるにも、在籍するにも迷っていた。前回も書いたが、なかばノイローゼ状態である。(早いか遅いか奨励会員なら一度は味わうものである。いや人間なら誰しもだろう?)

 ふらふらとしながらも、近くの運送屋さんに「四国の愛媛県まで1万円で荷物と私を運んでくれませんか?」と頼み込む。「兄ちゃん、そりゃあ無茶やで」「これだけしかお金が無いのでお願いします」しばらくして「しょうがないなあ・・」今思うと無茶苦茶な依頼だった。「学生さんのたっての希望やから受けたるわ」(学生ではなかったが私が嘘をついたのかなあ)

 小さなトラックに荷物と私を載せてもらって、深夜から一晩かけて四国まで帰った。途中で運転手さんに飯までご馳走になって、涙がでそうだった。挫折という言葉を味わったのはこのときだった。明け方に家に着くと、母はびっくりしていたが、何かを察していたようだった。運転手さんにお礼を言った。私はこんな風に人の世話になっていることが多い。(当時は気づかない)

 それから、将棋を辞める気持ちがちらつきながらも、奨励会に四国から通った。お金が一銭も無いのだが、母から旅費を貰うのが言えなくてグズグズしていたら、テーブルの上に必ず5000円置いてあった。こんなときは口惜し泣きしかない。そのお金を持ってフェリーに乗って大阪に出た。(フェリー代が往復で3000円くらいだった)20歳にもなって、情けない気持ちがあったが、まだ退会するかどうかの決断はギリギリだった。

伊丹イオンモールにて、子ども用の機関車が動く

 そのうちに義兄の仕事を手伝うことになって、岡山の姉の家に居候しながら奨励会に通った時期もあった。スレートの職人で、出張も多かった。ある農家で屋根に上がり作業していたとき、私はぼんやり他のことを考えていて、足を滑らした。運よく柱の間に挟まり助かったが、これが決め手になった。「仕事を辞める。もう一度だけ大阪に出て、将棋をがんばってみるから、ごめん」義兄と姉に謝って、荷物を持って飛び出した。今でもそのときの落ちたシーンが目に浮かぶ。スローモションだった。その農家のおじいさんが唖然としていた。

 自分の過去のことはあまり考えたことがないのだが、いかに自分が不義理をしてきたか、いろんな人に助けられてきたか、この年になってようやくわかってくることが多いのだ・・弟子を見ていると、中途半端な状況が多くて、今の時代のせいもあるが、判断や方針が難しいなあと思うことばかりだ。うまくいかないときは迷うのが当たり前である。切羽詰まったときは、ゆとりの持てるはずもない。あせりが悪い結果を生み出す、この悪循環を断ち切るのは容易でないだろう。そして普段の精進しかない、この当たり前のことに気がつくしかないと思う。

 これは決してイヤ味でなくて、昔の方が私のような劣等生の奨励会員でも棋士になるチャンスがあった。実際に私が四段になったとき「君でも棋士になれるのだから、俺もがんばるよ。勇気付けられたよ」と妙な祝福を受けたりした。「そうですよ。がんばって下さい」私も客観的に素直にそう思った。自分が棋士にならないことばかりを考えていたせいもあるが、運命は皮肉で、そして不思議でもある。

 明日は見えないけども、自分の行動を見ればうっすらと予測はつくものだ。一晩でガラリと状況が変わることなどない。明日なんて信じられないものだ。でも今日の積み重ねなら、少しは手ごたえも出てくるだろう。私はどちらかいうと面白くも何ともない現実主義者である。また常に悲観論者でもあり、冗談が嫌いな(真面目ではないが)タイプでもある。人も信じないし、先ずすべてを疑ってかかるイヤな人間である。

 そこまで言うと、少しは自分をかばいたくなるが、何のかんの言っても人をうらんだことはない。それは仮にどんな仕打ちをされても?そうである。どんなこともしょうがない、このひと言で生きてきたようなものかなあ・・と思う。

伊丹のHIROに行く。荒牧店にいたMさんがいて懐かしかった。

 弟子のことを思って、至らぬ師匠(自分のことだ)を思い、でもみんな自分を大事にしてほしいと思うしかない。これは本音である。見得は捨てよう・・また損得などどうでもいいではないか。しっかり将棋に向き合うこと、一切を捨ててそれだけでよい!(師匠は常に、自分のことは棚にあげてである)

 山崎隆之七段昇級祝賀会のご案内

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