今日はオフだったが、ここ数日の動き疲れでエンジンがかからない。朝、HIROのモーニングに行く。正月からのあわただしさがひと息ついて、と思ったら明日が対局だ。すっかり忘れていたが、妻には忘れていないふりをする。先日も同じ日同じ時間に約束が三つ重なっていて呆れたばかりだが。緊張感が取れると空白の時間がやってくるのだろうか。

 午前中、ダイエーに立ち寄って買い物をする。帰りに何故か仕方なくゲームコーナーで「WILL」と「WILLフィット」を買うことになった。(帰宅してセッティングしようとしたが、大変である。まだ完成していない)

 午後は昼寝をする。目が覚めてからは雑用と仕事の準備だ。

 ピアノのレッスンが始まり、チビを小さい囲いに入れるが、ときどき泣きだす。囲いに入れられるのがイヤなようだが、教室やレッスンのときは仕方がない。囲いには別の犬小屋もあり、普段は喜んで入るのだが・・あまり泣くので一瞬だけ外に出しておやつと引き換えにまた入れる。今度は泣かなかった。遮断された空間がよっぽどイヤなのだろうなあ。

 ピアノのレッスンが終わってから夕食にする。今日はきりたんぽである。母からの毎月の商品で、郵便局のチョイスギフトだ。今日はHIROに行かないので久し振りに家でビールを飲む。おなかがいっぱいで寝転ぶ。

 妻もバテ気味で(ここ数日の疲れが出そうな時期なのだ)ネットでダイワスカーレットの勝利レースのYoutubeばかり見ている。

 将棋もそうだが、自分の勝局集を並べるときと、敗局集を並べるときがある。元気なときは敗局集(こちらの方が多い)で、気合を入れたり、落ち込んでいるときには勝局集がいいのかもしれない。

 今は弟子の棋譜を並べる方がはるかに多いのだが、対局前は勝った将棋で気分よく備え、それ以外は負けた将棋を何度も並べた方がいいように思う。自分の気持ちをコントロールするのは難しい。勝負事は、負けは技術で勝ちは運の要素がある、そう思ってちょうど程よいくらいなのだが、自信と過信、卑屈と謙譲は親戚みたいなものなのである。

 自然体でいることがいいが、人間の針は傲慢さと劣等感のどちらかに傾いていることが多いように思える。ひたむきに打ち込むことが針を真っ直ぐに、まっとうにする要素だと思うが、勝負事は結果に大きく左右されがちなので、ぶれてしまうのだ。

 今日は曇りから雨の天気で、頭がすっきりしない一日だった。気を抜くとこういう風になるのだろう。