2021年1月17日震災の日 [日記]
今年の震災の日はコロナ自粛の影響で、一門で集まるのは中止にした。自宅でも教室があったので息子に任せ
、ゆずりは緑地に向かったのは妻と二人だった。
取材を受けながら「昔に戻ったねえ」妻がつぶやく…二人だけで来ていた時間のことである。

例年よりも暖かくて静かだった。阪神大震災から26年。私の26年間の日々はこの日の体験から、神様を恨む気持ち、心身の虚脱状態…そしてそこから精神的に起き上がること…運命を受け入れること、前に向かって進むことの繰り返しだったように思う。

昨年の1,17に銘板ができて、船越隆文君の名前が刻まれた…跡地がなくなり、船越君のお母さんも私も行き所がない心情だったが、ここに来れば会えると思うと少し癒された
気持ちになる。

これからの生きている自分の歳月はいつまで続くかわからないが、やはりこの日の悲しみを想いながら、薄らいでいく「震災」を忘れずにいたいなあと思った。

心の底のつらさや悲しみは、生きていくときのやさしさやたくましさを培かう面もあると思ってきた気がする。
ふと気が付くと、自分が年老いてからっぽに近づいている真情になっているが、まあそれもいいのだろう…
弟子たちには、ともかく激しく息長く踏ん張ってほしいなあと願う気持ちのみである。
1月17日がくると、私の新しい一年が始まる。
家に戻ると子ども教室の子たちが帰るところだった。
3月28日土曜日 散策、宝塚ホテルに行く [日記]
3月28日土曜日
朝、近くを散策する。アオサギがいた。ハナズオウや水仙が咲き誇っている。
昼過ぎに広島から来客あり。その後も大学入学で関東に行く、0君とお父さんが挨拶に来てくれた。
来客の後で宝塚に出る。新館ができて、今月いっぱいで閉じる宝塚ホテルに向かう。モダンで独特の気品が漂う雰囲気があるので好きだった‥









3月25日 宝塚聖天に行く [日記]
今日はオフで、肌寒いがいい天気なので、宝塚聖天に向かう。大阪の福島の聖天さんとも縁があるし、かの?小林佐兵衛翁の木像がある。そして零戦墓地があり、そこに自然のミモザが咲いているのも観に行く目的だった。









昼食はベンチに座り弁当を食べる。
帰宅して2階の部屋の片づけを始める。姉から電話があり、母のことについてだった。その後で施設に電話して話しを聞いた‥
夜はニュースを見ながら、あれこれ模索する‥歴史上の人物の中で、小林佐兵衛翁に逢ってみたかったなあ‥
3月13日金曜日 清荒神に行く [日記]
少し晴れた天気で、買い物の後に車で清荒神に行く。偶然に「涅槃図」特別公開があってよかった。3月13日~15日まで。釈迦の涅槃図は厳かな中に動物たちもいて、癒しになる世界である。
その後、特別資料館で「清荒神と鉄斎」もあったので入る。
午後は少し休む。夕方から個人指導が2組で4名だった。



一願地蔵






清荒神駅前のロータリーの花壇
3月3日王子動物園に行く [日記]
3月3日ひな祭りでもないが、天気もいいので王子動物園へロバのブンタに会いに行くことにした。電車は空いていて、静かな車内である。
ブンタとナズナは微妙な距離感でくつろいでいた‥



ゾウが桜の木の枝で遊んでいる

ゾウが自分の鼻先でスイッチを押して遊んでいる



ササをおいしそうに食べるパンダは大人気である



可愛くない鳥がいた?



わが家のひな祭り

夕方から個人指導2名だった。
不思議な日々が続いているが?いろんな危機管理を試されている気もする。
金太郎がいっぱい甘えてくる‥
淡路島、黒岩水仙峡に行く 2月4日火曜日 [日記]
淡路島の黒岩水仙峡に行くことにした。高速を走るのは久しぶりなので、初めは緊張する‥それとインターでの乗り換えが不安である。明石大橋に入るとほっとした。
ほぼ毎年水仙を観に行っているが、年によって咲き方がまちまちである。春の前触れなのだが、今年はすでに春のような暖かさだった‥


沼島が見える

黒岩水仙峡から、観音像がある喫茶アメリカまで走る。初めはクネクネ道だがなじみのコースである。

ケーキセットを注文する。



高速が混まないうちに、少し早めに帰宅する。
夜は個人指導2名だった。
1月25日「じんさんを偲ぶ会」に出席する [日記]
午前中は子ども土曜コースだったが、午後から時間ができたので、少し早めに大阪に出る。夕方から「じんさんの偲ぶ会」に出席するためだった‥


心斎橋で降りて人混みに圧倒される‥もうついていけないぞ‥

昔ながらの喫茶アメリカンで休憩する。ここは47年前にも入ったことがある。

鶴橋に行く。まだ時間があったので市場に入る。




会場の今里まで歩いて向かう


路地を除くと懐かしい街並みが見える

この立札が目についてわくわくする‥さっそく探索する

「血と骨」の梁石日さんの出身地、そばの喫茶で聞いて探した。



松下幸之助さん起業の地、ここも通りがかりの人に聞いた。

風呂屋さんの煙突、数年前まで開いていたそうだ。


じんさんの偲ぶ会には沖縄県読谷村からも来られている。「チッチ 沖縄と舞う風」の追悼文集をいただいた。
私は将棋と競馬を通じての親交だった。困った時、なにかあるとすぐに駆けつけてくれるのがじんさんだった‥祝賀会の扇子も遺品にあった。
他の方は読谷村との大人や子供の交流の方達だったが、素晴らしい時間を過ごせてよかった‥
1月21日 姫路に行く [日記]
1月21日火曜日 7年ぶりの姫路競馬に行く。今回は電車を乗り継いで行ったので、小さな旅にもなった‥
駅で迷いそうなときに、園田でも顔見知りのOさんと会って無料バス乗り場まで案内してもらい助かった。

駅から姫路城が見える

バスから目の前に姫路城

姫路競馬場に着いた

180度見晴らしのよい、静かな競馬場だ。

パドックは素朴でよい。



すぐそばに住宅があるのも面白い

馬券は難解で当たらない‥差しが決まるが後半は逆の様相で読みにくい。

みているだけでも気持ちよかった。11Rでようやく、まずまずの配当の3連複をゲットして挽回した。

天気もよくて気持のよい一日を過ごせた。
1月17日金曜 震災25年 [日記]
震災25年はあっという間の気がした‥宝塚市のゆずりは緑地で阪神・淡路大震災の追悼の碑、銘板の除幕式があった。



遺族の方の序幕の後で黙祷の後、中川市長さんのごあいさつがあった。そしてなかしま拓さんのハンドフルートの追悼演奏があった。天に響く音色だった‥

遺族代表で船越明美さんの挨拶


銘板を見るとその日が蘇り、悲しく感慨深い‥でも祈りをささげることができる場所ができてうれしい気持ちもある。


ホテルに移り、一門の新年会を開く。これが一年の節目である‥

今年は「漢字がふたつ」のテーマだった。
「淡々」「放浪」「前進」「一等」「明 笑」「静 勢」
「暗 明」「果 健」「進歩」「変化」「挑戦」

石川優太四段

西田拓也四段

なかしま拓さん
夕方から「継ぐ味」で夕食会もあった。
震災25年は私にとって「限られた時間の大切さと、日々ぶれないで自分の背丈で生きることを噛みしめる‥」年でもあるなあと思う。
1月14日火曜日 京都、北大路魯山人展に行く [日記]
1月14日火曜日 京都に行く。私の大好きな北大路魯山人展に行く。


金太郎の背後にふーちゃんがいる?





芸術は当意即妙の連続‥




権兵衛で親子どんぶりを食べる。写真家の西川先生に連れて行ってもらった店のひとつである。


喫茶店に入る。築地と言う店だった。昔のクンパルシータの店の並びである。

少し早めに帰宅する。
夕方からは個人指導2名だった。級位者研究会もあったが少ない。
北大路魯山人の芸術に触れて、少し元気になった‥