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堺に行く 金太郎YouTube [旅の仙人]

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 今日は(4月23日金)昼前から堺に向かう。亡くなってから4年経つのだが、旅の仙人、水津さんに会いたくなった・・久し振りに「湾岸線」に乗る。以前は水津さんのお見舞いに通っていたのだ。

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 妻にデジカメを預けて、湾岸線を撮ってもらう。

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 大浜で降りて堺の街を走る。何となく道順を覚えている・・

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 水津さんの入院していた病院に着いた。懐かしい・・

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 ここは当時はお風呂屋さんだった。

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 懐かしい食堂に入る。水津さんのお見舞いに来たときによく入ったのだ。

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 今日はカレー定食を食べた。

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 喫茶「あじさい」当時のことが浮かんでくる。手前のコンビニはなくなっていた。

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 時の流れは現在を消して、過去を作っていく

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 大仙公園に行く。この公園で水津さんや和田さんと花見もしたのだ。

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 堺は阪田三吉、利休、そして与謝野晶子である。

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 大仙公園

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 子ども達の課外授業だろうか

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 仁徳天皇稜

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 大きすぎて、地上からはこの全容が見えない。

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ツツジがやさしい

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 仁徳天皇稜のお堀、昔ながらの風景

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 水津さんの住んでおられた団地に行く。階段を上って部屋の前に行くと、まだ表札が残っていた・・

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 この風景も懐かしい。私が水津さんのこの団地に初めて来たのは、中国で知り合って帰国してからだ。ここでスライドを見せてもらって、写真熱をもらったのである。

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 もうここにいつ来るかもわからないし、将来はこの団地もあるかどうかわからない・・思い出すと楽しい記憶ばかりだが、亡くなられる前に部屋の整理を手伝った日のことを思い出す。階段を歩いて上れないのに、自分の身辺を最後に整理したいからと一緒に来たのだ。

 それでも悲壮感はなくて、最後まで底なしの明るさと強さを感じた。水津さんは何かを越えた人だったのだ。水津さんに頼まれて預かったものも多くて、今も整理できていない。でも水津さんから貰った大切なものは、たくましく生きる・・ことだったように思う。

 日本一周した車を貰っておけばよかったかなあ・・世界一周したときのアルバムや写真は預かった・・

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この後で工事のための渋滞に巻き込まれた。

 過去を思い出し、水津さんをそばに感じながらの堺行きだった。疲れた気持ちが少し癒された思いである・・「やあ森さん、いらっしゃい」もう一度この言葉を聞きたいなあ。水津さんのバイタリティーを見習いたいものだ。

YouTube 金太郎のチャチャチャランチャ オウ!


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水津さんを偲んで [旅の仙人]

 旅の仙人、水津英夫さんのパスポートをあずかっていて、写真の日付と照らし合わせたり、水津さんのお話を思い出していると懐かしい。今日は水津さんの友人の山崎さんが来られて、いろんな話であっという間に時間が過ぎた。

 手帳やパスポートで水津さんの遺したものをあらためて見直させてもらうと、過去の大きな時間の流れの中で、貴重な旅のストーリーを見せてもらっているようだった。この写真は外人の人に描いてもらった似顔絵のようだ。

イースター島のビザである。ときどきパスポートにもメモ書きされてある。盗難にあって再発行のパスポートもある。

 インドのビールのラベル。旅を通じての水津さんの知り合いは多い。楽しくて強烈な印象を与えていたと思う。人にも物にも分け隔てのない自由人だからファンが多いのだろう。

 2007年の予定が書き込まれてあった。やはり外国への旅だった。平成19年イタリー。イタリアに行く予定だったみたいだ。これからも水津さんを通じて、自分の生き方を探る旅になるような気がする。

 水津さんは強烈な存在だったが、これほど丁寧に生きた人はいないかもしれない。そんな風に思えるようになってきた。ごく自然な普通の人なのだ。まだまだ旅が続いているように思えてならない。水津さんを知る人は同じ様な思いなのだろうなあ・・亡くなった悲しみよりも、懐かしさがこみ上げるのだ。


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仙人帰宅する 11月8日 [旅の仙人]

ちゃんこ鍋を食べる、水津さん、和田さん、おいしそうだ。

 今日は11時にカマやんのヒゲの和田さんと、朝日会病院で待ち合わせていた。水津さんが自宅に帰るので、力持ちの助っ人が必要なのだ。病室に着くと、すでに和田さんが待っていたが「今日は何でしたかなあ?」あれれ、すっかり忘れているようだ。

 外出届けを出して、車で向かう。途中でちゃんこの店に立ち寄り昼食にする。水津さんがみんなにお礼に昼食を振舞う手筈だったのだが、これも忘れているようだ?水津さんは一日の初めはしょんぼりしているように見えるが、動いて話していると、帰る頃には顔色がよくなってくるのだ。

 仕切りがあって、立浪部屋に通される。いつも食欲の無い水津さんが、割ともりもり食べるのでほっとする。私も鍋は大好きで、楽しみにしていた。和田さんも「今日は風と雨が凄くて、空き缶回収は中止にしました」西成からは自転車で1時間ほどかかるらしいが、慣れたコースなのだ。

 店を出て家に向かう。4階の階段を上るのにひと苦労で、車を置きに行っていると、和田さんと妻の大きな声が聞こえてヒヤッとする。和田さんが背負って上っているのだが苦戦しているようだった。部屋に着いて、電気を付けて窓を開けてひと休みする。

 病院に持っていくシャツやセーターをあちこちの箪笥や引き出しから探し出す。どこに何があるかほぼ覚えてしまった。水津さんも、部屋の中のものを順番に整理していく。私が言われた通りに引っ張り出して点検してチェックした。手紙の束があって「ラブレターやなあ」和田さんが冷やかす。水津さんの目が輝いた。写真やフィルムの整理は大変そうで「もっと長生きするつもりやったからなあ」と言うと「水津さん、そんなこと言ったらあかん。バチがあたる」和田さんがやさしくもきつく激励する。「水津さん、今までもそう言いながら、元気ですよ」

 帰りは自力でゆっくり階段を下りて行った。和田さんがしきりに背負うことを言っても、水津さんはとりつくしまもない。帰りに堺名物の「くるみ餅」を食べる喫茶店に入る予定だったが、ちょうど休みだったので、病院のそばの喫茶店に立ち寄った。水津さんがごちそうしてくれた。

 病院に戻ると、水津さんは車椅子で詰め所に行き、報告する。そして帰るとき「今日は遠方から、長い時間ありがとうございました」律儀な水津さんは、毎回丁寧にお礼を言って頭をさげるので恐縮する。どんなときでも佇まいを崩さないのだ。和田さんも凄い馬力で自転車で帰っていった。

 今日の水津さんは、途中から次第に顔色が良くなってきて、帰る頃にはすっくと立ちあがるくらいだった。「脳に来て、ボケてきましたからなあ」と言いながら、旅の話の記憶は健在で、階段も自力で降り、食欲もあって、タフだった。少しユーモラスながら、きわどい場面に出くわすこともあるが、充実した時間を過ごせてよかった。

 夕方からめっきり冷え込みが厳しくなった。帰りの湾岸線は行きと違って風も治まりスンナリ走れた。

 夕食を済ませ、帰宅して、トビオトクロに餌をやってからすぐにバタンと居眠りしてしまう。

 目が覚めて、ネット中継のC級2組の順位戦を見る。片上五段、糸谷四段は勝ち。増田五段は遅くなりそうだった。ここ数日めまぐるしくて、あれよあれよと日々が過ぎて行く。合間にコツコツ仕事をしながら、何とかこなしているが、ノルマは常に危険水域かなあ・・人生に完璧な保証や安全はない、自分の呼吸で暮らしていくしかないのだろう。

追記 増田五段も勝ち、今日は門下三名全員勝ち。このままずっとこのパターンで行ってほしいものだ。


2006-11-07 23:59 

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堺に行く [旅の仙人]

綾部夕景。「写真あれこれ」にも別のカットを掲載した。

 今日は午前中、昨日書けなかったブログを急いで書き込む。昼前に出発して,堺に向かう。朝日会病院に着いて、二階の病室に入ると、水津さんが「今日、誰かが見舞いに来てくれそうなので、家に帰ろうと思うとりました」と言ったので、あわてて制した。「今度Wさんと待ち合わせている日にしましょう」

 妻がコインランドリーに行く間に、大事な話があるのでと言われて、座り直す。大体の見当はついているが、律儀な水津さんらしい依頼だった。それから病院の担当の看護婦さん(婦長さんかもしれない)が来られて、「水津さん、抗がん剤を週一回に減らして、いったん治療を遅くする件、考えておいて下さいね。まずは食事をがんばって、体力をつけましょう」はきはきした声で説明してくれる。治療経過を始めて聞いたが、「普通の人なら、吐いたり倦怠感で精神的に参る薬なのに、水津さんはタフですよ」

 「この間までのはきつい薬だから、毛も抜けるほどなのに、水津さんは毛が生えてきそうな元気さですね」明るく応対してくれる。水津さんは、話を始めていくほど、顔のつやもよくなっていくのがわかる。「今の食欲の状態では、摂取カロリーが不足しています。アイスクリームでも何でもお好きなものを食べて、お茶もたっぷり飲んで、とにかく体力ですよ」

 食欲がなくて衰弱していたと思ったのは、薬のせいだったらしい。強靭な体力と精神力で、ダイハードのような水津さんである。ときどき弱音を吐きそうなときもあるが、淡々と病気に向き合う水津さんには脱帽である。

 今朝、私の母からも「足の痛みで、手術することにした。入院はまだ先だし、心配はいらないから。そのままいってしまってもええくらいに思ってるから、今は帰らなくてもええ」笑いながら報告があった。

 堺から帰宅して寝転がっていると、いつのまにか居眠りしてしまった。クロの泣き声が聞こえて(餌の時間になると、クロは貰えるまでシクシク泣き止まないのだ)そんな時間かと目が覚めた。トビオもクロも餌を待つ瞬間は、世にも真剣な眼差しで、私でなく餌の方を睨みつけている。ヤジ馬で源さんも「ボーボボボッ」と鳴きだす。平和な光景だ。

 


旅の仙人のサイト [旅の仙人]

 

万里の長城を行く、旅の仙人

 

 今日は午前中、京都新聞日曜日掲載の詰め将棋を作る。入門向きを含め四問作ってファックスで送る。いつも行き当たりバッタリの仕事で、ストックはない。ただ詰め将棋ノートはいっぱいあって、子どもの頃に作っていたのもある。ほとんど半世紀近いから驚く(呆れる?)

 午後は昼寝しながら、何となく詰め将棋を作る。ピアノのレッスンが始まったので、その後で電車で宝塚に出て、銀行に行ったり用事を済ます。(車は定期点検に出しているので)

 夕方、田中真知さんからメールが入り、水津さんから預かっていたビデオーが着いたお礼と、水津さんのサイトを作りましたと連絡があった。明日、エチオピアに旅立つのに、今日一日で開いたそうでびっくりした。

『旅の仙人 水津英夫、おおいに語る』田中真知

 やむにやまれぬ気持ちがそうさせたのだろうが、私から見ると神業である。初めはHPを開くのに、何日徹夜したかわからない。それでも立ち上がらないので、ますますムキになる。

 水津さんのことを紹介した記事が掲載されてある。田中真知さんの、旅の仙人の存在をとっても理解されて、その中に真摯な現実をまっすぐに見られている、暖かい目線を感じる。

 先日、田中さんはインドネシアへの飛行機の中で、知人に紹介され「聖の青春」を読まれたそうである。水津さんを通じての奇遇な出会いだったが、不思議な縁だなあと思う。水津さんのエネルギッシュな生き方は、人を惹きつけるものがあって、飄々とした中に、生きるロマンがあるように思う。今の厳しい状況でも、病気と闘うというよりも、病気とともに歩む、そんな自然な日々を過ごされている。

是非、旅の仙人のサイトをご覧下さい。

 


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旅行人来る [旅の仙人]

病院の談話室にて、水津さん

 昨日は堺に行ったが、深夜、サーバーのメンテナンスと、私が眠気に襲われ日記を書けなかった。朝早く目が覚めた。

 インドネシアの旅を終えたばかりなのに、東京から深夜バスで来られる田中真知さんと待ち合わせで、朝日会病院に行く。ちょうどヒゲの和田さんが空き缶回収の仕事を終えて見舞いに来ていた。「ちょっと安いけど、近くの業者に売ってきました」

 すぐに田中さんが来られて、珍しい顔ぶれが鉢合わせとなった。和田さんはすぐに引き上げた。病室から談話室に移る。

 田中さんの携帯から旅仲間に電話しているときに、思わず涙ぐんでいる水津さん。初めて見る光景だった。何かの依頼を終えて、ほっとされたようだ。お年寄りが増えてきたので、隣の談話室に移動した。水津さんの声がかき消されるように、隣の部屋では楽器の音と童謡の歌声が聞こえてきた。娯楽の時間だったのだろう。私はここ数年、身内も含めて病院に行く機会がめっきり増えたが、独特のにおいになじんでいる。病気と向き合うことは、日々を大切に、そんなメッセージでもあるようだ。

 昼食は田中さんと妻の三人で、先日行った松島食堂に入る。途中のコンビニに子猫がいた。追いかけると荷物置き場に入り込み、チラリとこちらをのぞいている。昼食の後は、喫茶店に入る。ここもなじみの店になってきた。そこで田中さんにアフリカの話を聞きながら、PCで旅の写真をみせてもらう。

 ボルネオ、バリ島、イスラエルと旅心を揺さぶられる風景を見ながら、一枚一枚丁寧で深みのある写真に感動する。旅の写真家大崎学さんの写真をみせていただいたときもそうだったが、世界は広くて謎だらけである、そんな思いをますます深くする。

 病院に戻る途中で、飛行船に出くわす。何かの宣伝の文字が書かれていたが、読めない。病室に戻ると、水津さんが身支度を整えているので唖然とする。郵便局に寄ってから自宅に帰る準備だった。外出許可証を手に、旅の戦闘?モードである。さすがにしばらく休んでからにしましょうと説得する。

 また三人で出かけて、先日から気になっていた喫茶「一二三」に入ることにした。昔ながらの看板と店作りで、興味があったのだ。店内はスナックのような雰囲気だった。

 病院に戻り出発する。水津さんの団地付近で郵便局に立ち寄ってから、さあ団地の階段を上ることになった。健康な人間でも四階の上り下りはきつい「五階だったらエレベターが付くんですわ」水津さんは他人事のようだ。田中さんが水津さんの腰の付近を押し上げながら、一歩一歩上っていく。千里の道も一歩から、そのものである。

 部屋に入り、一息つく。またしばし歓談して、田中さんが携帯で旅仲間と連絡を取り、水津さんに交代する。受話器を通して相手からの元気な声が響き渡って、水津さんを激励する気持ちが伝わってくる。淡々と応えながら、時折涙ぐむ仙人。

「非常電話を断らないといけませんなあ」私が先方に解約の手続きを聞きながら、言うとおりに「線を抜く」と通話が途絶えて、けたたましい非常ベルがなってあわてた。ガス、電気、水道、いろんな整理をこまめに説明する水津さんは、どこまでも淡々と、自分を、そして世の中をみつめているのである。

 水津さんを病院に送ってから、堺東に出て食事をする。田中さんは深夜バスで帰るので、時間がたっぷりあり、てっちりを食べながら、いろんなお話を伺うことが出来た。数日後にまたエチオピアに旅立つという田中さんは、作家で編集者だが、今なお現役のバックパッカーでもあるようだ。再び写真を見せてもらう。中国の客家(ハッカ)、エジプトの砂漠の中に暮らす修道士の話と写真は、印象的だった。

 堺東の駅で別れて、帰宅する。家についてまもなく眠気が襲ってきて、二階に上る。あれよあれよの一日が過ぎた。水津さんにとっては、忘れ得ない日となっただろうと思う。私はひと仕事終えたような心境で、ぐっすり眠れた。

王様の耳そうじ 田中真知さんのブログです。

旅の仙人写真館 水津英夫さんのページです。


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