昨日は久しぶりのオフだった。金太郎と一緒に遊ぶ。最近は新たな遊びを覚えて(たいしたことはないが)金太郎もすこしづつ大人になっていく?のだろう。左にチビの位牌が写っているが、49日が過ぎると動物霊園に持っていくそうだ。

 金太郎が何を考えているのか、何となく予想できる?けっこうしつこくて、かなりきつく言わないとやめないこともある。きつく噛んだりするとすぐに電気を消して、怖さを強調する。そうするとごめんなさいといった感じで手を持っていても、舐める感じになる。

 ここ数日で覚えた遊びだ。咥えて落としたり、でんぐり返って遊ぶ。積み木のようだ。

 こうやって落とす。私に拾わせてまた落とす。三回目くらいになると私も下に置く。そうするとまた拾ってきて咥えて椅子に登る。ちょうど目線が一緒のところで遊ぶのがいいみたいだ?

 午前中、息子が来て、その後で郵便局に一緒に行って用事を済ます。一段落してほっとしたら、外出したくなったので、伊丹のイオンに行く。

 買い物の前に、伊丹を歩いて散策することにした。

 人の行列で何事かと見ると、名水の水汲みの列だった。伊丹は蔵どころでもある。

  

 伊丹第一ホテルの前には、何故か鳩の像がある。

 小さな商店街の裏通り。この界隈は昔、就職していたころ、休みの日に散策したものだ。映画館もあったが、印象に残るのは喫茶店である。生まれて初めて入ったら、同僚の仲間がいっぱいだったのだ。田舎者ぞろいだったので、みんな同じことを考えていた?のだ。

 道路沿いにカラスがいた。近づいても逃げないで、なにやら気にしている素振りだった。なまめかしい姿のカラスだった。

 震災で変貌した阪急伊丹駅だが、ここもなじみ深い。昔の面影は薄らいでいる。

 昔の風景が残っているシーン?だろうか。

 都市化すると大きなビルが増えて、人の息使いが消えていく。

 取り残されたような街の一角もある。都市整備と古いものが混ざり合ったのが伊丹の風景かもしれない。

 開いているのか閉まっているのか、路地には小さなスナックが多い。

 何故かポツリと昭和の時代が残っていた。

 

 店の前には餃子の700人分の値段も表示されてあった。

 変貌していても、昔のままの場所の懐かしい景色だった。

 道が変わると時代が移る

 バスが来るとほっとする。

 ここにも群れのカラスがいた。

 工事現場をのぞく。面白い。

 伊丹らしい酒蔵の風景

 社宅だろうか。映画のロケに使えそうな風景だ。

 JR伊丹駅からイオンに戻る。

 JR伊丹駅に初めて降り立ったとき、小さな駅舎だった。

 

 大きな青空の広がる風景、人が小さく見える。

 

 陸橋を渡る。便利さの象徴は過去を葬り去る。なにやらの心地よさのなかに、小さな店などを飲み込んでしまった怪物にも見える。何が残って何が出現したのか、人の気持ちや生き様にどう影響したのか・・そんなことを考える人はいないかな・・

 スマートさの中に潜む?〇〇化した空間だろうか?〇〇の中味は人それぞれかもしれない・・人間社会なのに誰がこういう風に作り上げたのか、実は自分には何もわかっていない気もした。エりート化された風景でも、人の存在は(人間としての背丈は)大昔からそんなに変わっていないのに、進歩や進化や前向きと言った言葉に翻弄されている気がしないでもない。