★伊丹、震災の集い 1,16

 まるで人間の足の使い方をする金太郎

 どこでも潜り込む

 妻が風邪で迷ったが、少し回復してきたので一緒に出かける。

 伊丹の昆陽池で開かれている震災の集いで今年は「あゆむ」だった。

 ローソクの灯は風が強いとすぐに消えてしまうが、人の命のようでもあり、人の心のようでもある。

 お祈りをすると、、今年も震災の日がやってきたなあと思う。19年経過しても私には5年くらいにしか感じ取れない歳月だ・・

 19年間はあっという間に過ぎたようであり、コツコツと刻んできた時間を思うと、何をやってきたのだろう・・空白の心情である。

 身近なことでも揺れ動く日々でもある。この日は自分を見つめなおす機会にもなるが、大切なものの順番を間違えてないか?を問われている気もする‥

 今年は早めに帰ることにした。毎年通えることがうれしいことだ・・改めて思った。