今年の震災の日はコロナ自粛の影響で、一門で集まるのは中止にした。自宅でも教室があったので息子に任せ
、ゆずりは緑地に向かったのは妻と二人だった。
 取材を受けながら「昔に戻ったねえ」妻がつぶやく…二人だけで来ていた時間のことである。
 例年よりも暖かくて静かだった。阪神大震災から26年。私の26年間の日々はこの日の体験から、神様を恨む気持ち、心身の虚脱状態…そしてそこから精神的に起き上がること…運命を受け入れること、前に向かって進むことの繰り返しだったように思う。
昨年の1,17に銘板ができて、船越隆文君の名前が刻まれた…跡地がなくなり、船越君のお母さんも私も行き所がない心情だったが、ここに来れば会えると思うと少し癒された
気持ちになる。
 これからの生きている自分の歳月はいつまで続くかわからないが、やはりこの日の悲しみを想いながら、薄らいでいく「震災」を忘れずにいたいなあと思った。
 心の底のつらさや悲しみは、生きていくときのやさしさやたくましさを培かう面もあると思ってきた気がする。
 ふと気が付くと、自分が年老いてからっぽに近づいている真情になっているが、まあそれもいいのだろう…
 弟子たちには、ともかく激しく息長く踏ん張ってほしいなあと願う気持ちのみである。
 1月17日がくると、私の新しい一年が始まる。
 家に戻ると子ども教室の子たちが帰るところだった。