母の三回忌で帰省する。早いなあと思う…亡くなる頃の浮き沈みの気持ちから、今は儚いくらいの心もとなさと、重しが取れたようなふんわりとした生命感が芽生えてきて、それがさみしさと言うものなのかなあと気づいてきた。
 
 煙突の煙は子どもの頃から見慣れているが、空遠くに消えていく。
 姉たちと一緒に食事に行く。母とよく行った店である。母は「何もいらない」という割にこってりしたものを平らげていた。
 三回忌の興願寺に山頭火の碑がある。
 お墓に向かう。この墓碑は散らばっていたお墓を祖母が供養で集めたらしい。
i伊予三島駅に向かう。私のひざが良くないので、どこもよらずに帰ることにした。
 
 帰省するときに母がいないのは、いまだに実感がわかなくて困る…何しろ17歳から72歳までほぼ毎年帰省するのが習慣だったのだ。
 自分が縁を持つ中で、かすかなものを大切に…そういう気持ちで日々を過ごしていきたいなあと思う。もう無理はできないので、体と相談しながら、向き合っていきたい。もうしばらく母や祖母が見守ってくれるだろう…