昨日、歯医者さんをすっぽかしたので、朝いちばんでお詫びに行き、再予約をする。うっかりは、もう4,5回になるのだが、さすがに昨日は「40分かかります」と言われていたので申し訳なかった。居眠りしてしまったのだ。「今度から、朝の予約にして下さい」と頼む。苦笑されたが、呆れられているだろうなあ。

 それで思い出したが、ブログの文の中で、やたらと(笑)が多いのはいい気持ちがしない。雑誌の座談会で(笑)はよくみかけるが、意味が違うだろうなあ。私などは、何が可笑しいのかなあ?と思ってしまう。乗りが悪いのでしょうね。「今度、(不笑)と書いてみようかなあ」と妻に言うと、ユーモアのセンスがないなあという表情をされた。

 今日は午後から近畿大学の稽古で、例によって早めに着いて、路地を散策するが、迷子になりそうだった。

 迷子になったが、上の方に近大の門の時計が見えて、何のことはない近くだったのだ。昨日の雨上がりのせいか、ぶっきらぼうに傘が置いてあった。さりげないこんな風景が好きだ。

こういう狭い道ばかりなので、似たような風景で迷うのだ。

近畿大学の構内

稽古が終わり、電車を二つ乗り換えて帰宅する。

 今日は奨励会の例会だった。西田1級が初段に昇級した。でも後はほとんど惨憺たる成績で、困ったものだがしょうがない。何かペースが狂っているようだ。以前にも書いたが、今は修行法が難しい時代で、ネット将棋が盛んになって貢献している半面、何かの見境がなくなったかもしれない。個々に強くなるよりしょうがないのは、修行でなくてトレーニングの時代なのだろうか。勝敗の行方が気まぐれ、そんな感じがする。ますます短距離走の趣がある。プロアマ混合化の様相みたいである。この分析はいい加減なので、あてにはならないが・・

 常に時代は揺らいでいて、適合か不適格か試されるものだ。それを、何くそと、くつがえすのが修行なら、波乱なく順序に添って進むのがトレーニングかもしれないと思うのだ。きつくて大変な時代だなあ・・挫折や屈辱感、敗北感、絶望、そんなものが薄らいでいるのも時代だろうか。