昨日は子ども土曜コースと土曜教室があった。夏休み真っ盛りだが、みんな元気に出席である。私の方がフラフラモードで将棋は体力とつくづく痛感する。

 午前中は澤田三段が特別に手伝い、午後は石川4級も手伝い加わって、大石三段と阪上1級の珍しい講師陣となった。よほど任せて休もうかと思ったが、忙しいときほどそういうのはダメなのである。仕事もそうだが、へばっているときが自分の実力で、元気いっぱいの状態で取り組む方が贅沢なのだ。

 土曜教室が終わり、喫茶店からも帰り、居残り組も終わって解散する。今度受験するT君とM君とS君がいた。T君とM君に説教する。将棋を指すときの姿勢が悪いのと、精神が幼稚すぎるのと、プロを目指す気構えが感じられなくて、受験を取り消すことも考える。数年前もこんな感じで呆れ果てたことがあった。今はタテの関係が薄らいで、ヨコが当たり前のように思っている節がある。

  話しながら、何を言われているのかわかっていないだろうなあと想像する。足りないのは、厳しさとやさしさだろうか。自分に対する厳しさと他人に対するやさしさであるが、その逆になっていることが多いのかもしれない。自分のことはさておいて・・そんな感性が薄いのだ。自分のことなどいいじゃないか、コツコツ人のいちばん後ろから歩いていけばいいのだ。そんな精神が必要な気がする。

 自分の点数を高めることにシャカリキになっても、伸びていかないものだ。昔のあらゆる世界の芸事の修業の基本はそんなところにあるのではと思うのだが。自分が人よりも一歩先にいる、一歩先に行きたい、そう思った時点で修業は成り立たない気がする。地道なことをする時間を増やしていくしかないのだ。

 こう思っている自分の感性が通用するかどうかは疑わしいものがある。そういうものだ。それでもいい。こういうところが意地っぱりなのである。