昨日は(3月15日月)帰省した。朝8時に出発できたので休憩3回で11時過ぎに着いた。ずっと天気が悪くて困っていたが、実は天気予報を見間違えていて、この日も曇りだった。

 家の前の県立三島病院は名前が消えていた・・現実を目の当たりにするとやりきれないものを感じる。

 昼食に行く前に近所を回る

この黄色い花がいっぱい咲いていた

チビの住んでいた庭、もう誰も住んいないが春の息吹があった。

 冬の寒さに耐えた厚みがある蕾だ

 春はさわやかな色

 

 昼食は季の屋で釜飯定食、その後は買い物に行く。愛媛らしい柑橘類の山だ。母は動きが早い。私と同じでせっかちである。

 

家のユキヤナギの前で記念撮影をした。デジカメが落ちそうになる。

兄のお墓参りに行く前に、港を見学する。埋め立てで広がった港は私も初めてだ。製紙会社の工場群から煙突がそびえたっている。

 遠くに大きな船がいる。外国船も入港しているのだ。

 左手に法皇山脈が見える。山側は見慣れた景色だ。

 製紙会社の船のようだ。裏側にPANAMAと書いてあった。

 埋め立てでここまで海岸が伸びた・・伊吹島方面の瀬戸内海、ひうち灘

 工場群は迫力がある

 

 以前にこういった工場群だけを撮った映画を見たことがある。巨大な生命を感じたりする。

 製紙用のチップの山、これは子どもの頃から見慣れている。

 このあたりはもちろん海だった

 お大師様に行く。子どもの頃はお遍路さんもよく見かけた。何かあると足を運んでお参りするのだ。

 どこどこの家族のため・・つぶやきながらお参りする

 

 四国は特に弘法大師の伝説は多い。

 見事な松が残っている

 この風景が好きだ。

 特攻隊の関中佐のお墓、今日もお参りした知人のお墓のそばである。お大師様のそばでもあるので子どもの頃から何度も来ているのだあまり知らなかった

 子どもの頃の記憶をたどると、祖母に連れられてよくきたかもしれない。もちろんすべて歩いて来ている。

 兄のお墓にお参りする。

 お墓の隅にあるのがいわくつきなようだった。昔、祖母が、帰国する韓国の人に「このお墓を守ってもらえませんか・・あなたは親切にしてくれたので、お礼にこの土地はあげます」そういわれて預かった。それを母が譲り受けたのだそうだ。

 お墓の文字はかすんでみえない・・このあたりは昔は漁場で、祖母が干し場で働いていた。私は多分子守り半分で浜辺で遊んでいたのだ。その頃に小船で遊んでいて溺れそうになって、それ以来水が苦手になった・・松林があった。

 夕方1時間くらい居眠りして、早めに帰宅する。

 途中から大粒の雨が降りだして、80キロ前後でゆっくり帰ることにした。雨の日の運転はワイパーの有難さをつくづく感じるが、大型トラックがどんどん通過していく。ドライバーはきつい仕事だなあと思う・・免許の取立ての頃に、夜の雨の高速を走って、怖くて困ったが、そんな体験が大きいような気もする。

 私はまだまだ運転歴は短いが、車の走っている距離数と乗っている時間は多いほうかもしれない。慎重の上に慎重なのだが、わりとどんどん進んでいくタイプなのである。

 ぐったり疲れて着いたが、すぐに今日中に返却のDVDを見る。「永遠の子どもたち」という映画だったが、これまた後味が・・よくない。

 深夜に返却して、長い一日が終わった。