昨日は(4月14日水)朝から原稿の仕事をする。それからブログの整理をしたが、今は何となくペースが崩れがちである。要するに祝賀会がらみのことで、何となく落ち着かないので、例年同じなのだ。

 金太郎が将棋盤の木の蓋をかじる。それで新聞を置いていたら、新聞をのけようとする。何度も叱るが、余計にしつこくなる。

 椅子の背もたれは安定性があって好きなようだ。おとなしいと思ったら、鉛筆をかじっている。ずべて粉々にする。

 チビの表情がすっかりよくなった。寒さが敵だがもう少しで春本番、暖かくなるのでほっとしている。チビの性格、性質を見ていると、野性的な面、幼稚な面、臆病な面、食に対するどん欲さなど、世の中を一歩引いて観ているようなものを感じる。飼い主のおじさんはわりときつかったらしいが、おじさんが入院するとションボリしていたらしい。

 チビが金太郎を見ているが、金太郎も気がついて窓の外を眺めている。こういうときお互いに何を考えているのだろう・・

 木枯らし紋次郎を観る。

人間が面倒なのは①価値観にはズレがある②人間性にもズレがある③性格や育った環境にもズレがある。そうやって考えると誤解で成り立っていることが多いのだ。だからズレを過大視するのでなくて、ズレが前提で物事を見たほうが自然なのかもしれない。ズレを強調しても何も生まれない。ズレが前提の妥協点、協調点を見出す作業が大切な気がする。

 大声や強引さが主導なのは健全でないが、今は面倒なことを避ける風潮があるので、まかり通ることも多いようだ。政治の世界が特にそうなのだろうか?

 今の世の中は大人の幼児化を感じるが、自分もあてはまる面がある・・急所は大人にならないといけない。せめて大人の対応をしないといけない・・つくづくそう思う。

 

 「あっしには関わりのないことでござんす」紋次郎はかっこいい。中村敦夫さんもかっこいい。今はかっこいい男がいない?虚像でもいいのだ。

 朝昼晩の日課で、金太郎の餌の整理である。食べガラをのぞく作業だ。こんなにしなくてもいいのだが、どんな木の実を食べているか、また食べる量などもわかる。トビオは食べ物の匂いをかぎつけると必ずやってくる。

 夜、ピアノのレッスンが終わって、息抜きに(いつもこじつけだ)伊丹の方のロイ〇ルホスに行った。免許取立てのときは毎晩でかけていったものだ。気持ちのバランスを取るには、場所を変えたり方向を変えるのもいいことだ。状況を過去のあるときにリセットすると、また違った考えも浮かぶのだ。

 自分の心のバランスが崩れそうなとき、金太郎やチビ、トビオ、クロの存在は大きくて、救われる思いで、バランスが保たれて何ごともなく日々の暮らしを続けられるのかもしれない。