1995年4月22日、村山聖八段祝賀会より

 この写真は故村山聖九段の八段昇段の祝賀会である。場所は確か上本町の〇ホテルだった。まだ15年前なのにはるか昔に思える・・

 弟子に関わるエネルギーは自分のある部分をかなり費やしているが、だからといって師匠の私がいい結果を出そうと思っているわけでは決してない。この世界は自分の力で切り開くよりないのである。それを気持ちや具体的な助言や心の中で応援するのが私の役目かもしれない。それが出発点だと思っている・・

 疑心暗鬼に包まれながら、自己不信の流れの中で、それでもこれだけはというものを話そうと思うのだが、たいていは確たる言葉は出ないのである・・

 ときどき村山聖に聞いてみたいと思うことがある。村山聖ならどう答えるだろう・・興味深い。

 村山君が病室で呆然としている表情が目に浮かぶ。その頃の心境を書いた文章を読むと、耐えるという言葉を使っていた。耐えて反撃の機会を待つ・・そんな表現だった。今思うと、村山聖の激しさに対して、自分は同情は一切しないことと、余計なことは一切言わないことにしていた。

 言わなかったのでなくて、言えなかったのだろう・・今になってそう思う。

 今は・・言えないのでなくて・・どう言えばいいのかわからない・・そんな感じだろうか。