何をしているのかと思うと、金太郎がネクタイを持ってきた。ありがとうと言って戻すとまた持ってくる。それでどうやって噛んでいるのかと見たら、こんな感じだった。ありがたいけど・・

 以前はここに三角コーナーのハンガー掛けがあったが、壊してしまった。不思議なのはその部品のひとつがみつからない。いくら探してもないのだ。ここにぶらさがって遊ぶのだが、すでに落としている。

 いちばん困るのは部屋の木の部分なら何でも噛むことだろうか。徐々に家をかじっていく・・

 阪急うめだ店の11F美術画廊(4月21日~27日まで)で開催されている「中村太樹男絵画展」に行く。団塊おやじさんのお奨めである。

 <絵画が紡ぎだす物語の世界 中村太樹男絵画展>

 私が好きで欲しい絵が何点かあった。どこに飾ろうか・・毎日眺めながら部屋においてあるシーンを連想する。物語がいっぱい生まれる素材があって、日々楽しませてくれる・・そんなファンタジックな世界の絵だった。

 しょっちゅうアイデアが浮かんでくるそうで、絵画展の合間にもデッサンされているのが凄いなあと思った。

 絵画展のあとで地下街で昼食をすます。焼き鳥の店に入った。それからどこかいこうかと思ったが、帰宅することにした。最近は金太郎がいるので、自然に帰ることが多くなったかもしれない。人混みが苦手になったせいもある。

阪急梅田駅ホーム

そろそろ終わりだが、まだきれいに咲いている。清荒神駅前の花壇。

 ハナミズキが満開だ。季節の花は一年で数日のみ咲き誇るのだが、そういったわきまえの感性が美しさを強調するようだ。

 シャクヤクも見事な大輪を咲かせている

 八重桜、光の加減が失敗した。私はきれいないい写真を撮ろうとあまり思わないので、自分の背丈にあった位置を大事にしている。自分に与えられた目線の中で、いちばんいい写真が撮れればいいので、ピンボケでも苦にしない。それが横着なゆえんである。それよりも撮るものへの愛着だろうか?

 以前、頼まれて写真を撮ったとき、ファインダーをのぞかないで横着していたのがばれてしまった。覗かないで撮るのがいいのだが?将棋盤なしで詰め将棋を解くのと同じだ?実は撮るときは対象をあまり観ていない・・最近自分で気がついた発見である。

 自分のこともそうだが、分析はしても観ていない・・それが自分の人生観のような気がする。観ているのは時間のずれた過去と未来だろうか・・凝視するという言葉がすきなのだが、凝視できていないのがすべての自分の特徴のようでもある。

 凝視していないので、ある意味ですべてが常に斬新なのだ。ある意味ですべてが愛しいのだ。どうも?ファンタジーの世界の影響を受けたようだ・・