今日は(12月6日月曜)のんびり過ごすつもりだった。午前中は土日の日記を書きながら、あれこれ片づけをする。最近は早起きしてしまうので、弟子が泊まっていないときは5時過ぎにも目が覚めてしまうのだ。この冬は久しぶりに仕事が多そうなので、仕事用の体を(頭か)作っている?原稿や創作は準備が必要で、毎日コツコツやっていかないとこなせない。だから鈍っているとまずは気持ちの準備からである。早朝から午前中に仕事をこなすリズムを作ろうと思うのだった・・そう思いつつほとんど企画倒れが多いのだが・・

 昼食を済ませて金太郎を日向ぼっこさせようとすると「キンチャン、ヒナタボッコ」」としゃべった気がしたので妻に確認すると、どうもしゃべったようだ。最近は「アブナイネ」「キンチャン、アソボ」「アソボ」を連発したりする。しょうがないので「アソボ」というとケージから出して、その言葉を覚えさせようと思うのだったが、金太郎のしつこさは天下一品なので何度も繰り返すのだった。

 いろんな写真をプリンターでプリントする。そのときに、「源さんの写真」も初めてA4サイズで作った。なかなかこういう気分になれなくてずっとプリントしていなかった。それから庭の枯葉を整理して、源さんのお墓に線香をあげる・・

 宝塚に用事で出かける。年末にかけてはどこも人混みだが、いかにも師走の雰囲気だ。ふと見ると構内に鳩がいた。少し追いかけてあわてて撮った。生きものは悲しいくらいけなげである・・人間様には邪魔な場合もあるが、ほどよい共存の世界がいいなあと思う。

 JR宝塚駅も様変わりしたようだが、新装の駅に初めて行った。イコカの妻のカードが故障して?取替えの手続きを以前にわざわざ大阪駅まで行ってしたのだが、その日の内にはできなくて、すっかり忘れていたので窓口に取替え票を持って行ったのだった。ところが「2週間の期限が3日過ぎていますから、また更新手続きをしてから、明日以降の2週間までにして下さい」と言われてめげてしまうのだった・・

 「もういいから解約してください」「申し分けないのですが、それもできません。」以前の私ならカードをたたきつけたかもしれないが?(ウソ、でもそういう気分になる・・)ルールや規則という言葉は人をめげさすためにあるように思える・・自分のミスとわかっていても、悪気はないのだから何とか臨機応変にできないものか・・窓口の人が申し訳無さそうにしているので気の毒になってあきらめた。

 些細なことでもカリカリ来るのは、知らない間に自分も老害になりそうな片鱗だろうか・・多分、申し訳ないのですが・・というひと言があれば気分も違うのだろうなあ・・自分が不健康だと、いろんなこともゆがんで受け取ってしまう要素もあるのかもしれない。自分も逆の立場のときにどう対応しているかというと自信はない・・

 お客の場合は懇切丁寧だが、ひとたびそうでないと、冷たい世の中のような気がする。他人のことまで構う余裕のなさと、自己責任を避けるために規則重視、それが悪いわけでもないので何とも味の悪い気持ちのもって行き場所がない・・やはりルールを守らない自分が悪いのである。

 私は忘れ物、なくし物が多いのであるが、例えば電車の切符をなくしてしまって、出口で事情を話すと対応が分かれる。疑いの目で乗車駅を聞いてきちんと支払ってくださいというタイプと、お気の毒に(カバンの中から上着まで調べての結果なので)という表情で、次回は気をつけて下さい、と言って請求しないタイプとである。

 人間を信じないシステムが基本的に今の時代のようである。もっとも人間を信じすぎてもいいことはないことも多いのだろう・・うかうかボンヤリしていると、野ざらしになってしまう・・生存競争の激しさが、自己責任のパーセンテージを増やして、むしろワル気味でたくましくないと生きていけないのだろう。

 ひとりひとりの人間よりも全体が大事なのがこれから目指す社会としたら、つらいものがあるなあと思うのだった。規則を守れないことの多い私にはきついものがある?自業自得のなせるわざだろうか。