金曜の日記(2月25日)

☆対局 、パ〇ソニック電工の稽古

 金曜日は(2月25日)NHK杯の予選の対局だった。

 終ってから帰宅する。朝に差し歯が割れてしまって、歯茎に炎症を起こして痛かった。昼間の歯科に何とかまにあって、治してもらう。「落として割れたのではないのが気になりますね。3年前の差し歯なので緩んできたので応急処置はしておきますが、治しましょう」

 稽古までに時間があったので、明日の教室の準備や掃除や一休みで過ごす。金太郎とも少し遊んだ。

 稽古が終ってから打ち上げ?である。30数年間ほとんど欠かさずに稽古の後で飲み会をしてきた・・ありがたいことなのだ。K尾さんやK村さんには森一門祝賀会の世話人もやっていただいているので、祝賀会の日程調整と打ち合わせも兼ねる。5月1日の予定だ。毎年何とか続けられているのもこうした縁のおかげである。

 深夜に帰宅した。週末は教室があってお酒は少し控えたので2日酔いは大丈夫だ?

 

土曜の日記(2月26日)

☆ラッキーもさようなら・・ 

 朝、トビオやクロ、金太郎の世話をしていると、電話が鳴った。義母からだった。「チビちゃんのことで大丈夫ですか?」「はい」「・・今朝方、家のラッキーが亡くなりました・・」私は何が起きたのか呆然としながらも、冷静に見極める・・「昨日、元気に散歩していたのに・・」

 「明け方にウロウロ歩き回って、ときどき何かにぶつかったりして泣き声がきこえて、心配していたのだけど・・」義母のつらそうな声が遠くから聞えるようだった。

 仲のよかった頃のトビオとラッキー?まだふたりとも幼いのだった。

 ラッキーはもともと我が家の犬だったが、初めの主のトビオと血の出るような喧嘩が始まってから、これ以上の同居は無理と判断して義父に預かってもらった。義父は愛犬を亡くしたばかりで、ラッキーを大事にしてくれた。散歩が大好きなのも、我が家でなくて義父のところでよかった。ラッキーは私のことももちろんおぼえていてくれて、私が行くとどっかりそばに寄ってきてくれた。

 ラッキーは柴犬だが、日本犬らしくあまり愛想はないが、割と気品があった。いい血統の犬だったのだろう。柴犬のモデルになりそうな風貌と、淡々としていた性格で憎めないところがあった。

 8時半過ぎに宝塚動物霊園に連れて行く・・四日前にチビを送ったばかりなのに、どうなっているのだろう・・でもこれも運命である。チビがさみしいのでラッキーを呼んだのかもしれない・・そんな勝手なことを考えたりする。しばらくは私の頭の中は真っ白で思考力が失せた。でもラッキーも大往生だったのがよかった・・享年16歳だった。

 子ども教室や土曜教室があるので、葬儀と火葬は夕方まで待ってもらうことにした。

 

 家に戻って「子ども土曜コース」だった。

 途中から騒がしくなったが、「チビがいないね・・」そんな声も聞えた・・こういうときは淡々と仕事をこなすしかない・・

 教室のお母さんがチビのためにお花を持って来てくれた・・チビのいた犬小屋に花を手向けることにした・・ありがとうございます。空気を読めないチビは?動きが不器用だったので、よくぶつかっていた。でもその不器用さに人気があった。真面目なのだ。

 午後から「土曜教室」だったが、15時半くらいまでこなして、その後で再度、妻と義父の三人で宝塚霊園に向かった。

 16時過ぎに「葬儀」があって、その後で「火葬」だった。チビと同じ様に火葬は個別で、お墓は共同墓地にした。チビも待っているので、ラッキーもさみしくないだろう・・

 火葬を待つ間、部屋からの風景はきれいだった。

 ラッキーのお骨もとってもきれいだった。からだのお骨の細かい説明を聞きながら、幼いラッキーのことを思い出していた。我が家に来て数日目、おとなしいと思っていたラッキーがゴミ箱をひっくり返して、部屋中ちらかしていた。日本犬らしくいつも我慢しているので、反動もあるのだが、あまりにも普段の温厚なラッキーを観ていると意外な一面だった。

  お線香をあげた後で、共同墓地にお骨を納めた・・四日間の間にチビとラッキーが逝ってしまうなんて・・何が起きたのかわからない・・頭の中は混乱しているのだが、きちんと見送れたのでほっとした面もあった。

 ラッキーさようなら・・チビと仲良くして待っていてな・・

 今日が泊まりのY君と夕食をすます。それからHIROに行った。なすすべもない・・自分には何もなすすべもない・・茫然と心を落ち着かせるだけかなあ。