昨日は(3月23日水曜)オフだったが、午前中はダラリとする。金太郎と遊ぶのが日課になった。やや逃避気味である・・ほおっておいて何をするのか見ていると、今日は大盤の蓋を開けて駒を取り出した。桂と金を咥えて取り出した。さすがに金太郎である?
少し日が差してきたので、日向ぼっこさせる。晴れているときはほぼ毎日なので、慣れてきたようだ。ヨウムは神経質でこわがりなので、安心するまで時間がかかるのだ。初めの頃はときどき私が励ましの声を出していた。
今はいろんな声でいろんなフレーズを口ずさむ。リズム感が抜群らしい。だから私が教えるとだめで歌っても知らん顔だ。妻が歌うときは体をブルブル震わせて聞いている。カンがいいのだろう。「アトデナ」「アソボ」低い声でがなられるとうれしくない?
しかし私が留守から帰って来ると、お得意のおもちゃを足で蹴って、喜びを表す。笛や太鼓のつもりなのである。
早めの昼食を済ませて、宝塚南口の上にある、宝塚聖天に行く。はじめはつくし摘みの予定だったが、妻の体調ももうひとつなので近場にした。後で調べるとこの宝塚聖天さんは福島の聖天さんともつながりがあるらしい。ミモザを見に行くのが目的だった。
入り口の堂々たる狛犬
司馬遼太郎著の「俄 浪華遊侠伝」に出てくる主人公の明石屋万吉(小林佐兵衛)の型破りな侠客の物語である。
「この銭、貰うた」。逃げた父の代わりに金を稼がねばならなくなった万吉は、身体を張った“どつかれ屋”として身を起こす。やがて生来の勘とど根性と愛嬌を元手に、堂島の米相場破りを成功させ、度胸一の極道屋・明石屋万吉として知らぬ者のない存在となった。そんな万吉に大坂町奉行から密かな依頼がくる。
侠客明石屋万吉となった男を時代の波が襲う騒乱渦巻く大坂で、米相場破り、果ては親分から侍大将となり、官軍との戦いに臨む。度胸と勘で場当たり的に生き抜く、怪ッ態な男を描いた異色の上方任侠一代記。
「わが一生は、一場の俄のようなものだ」。大侠客となった万吉は、藩州一柳藩に依頼され、攘夷派の浪士たちが横行しだした西大阪を警備する侍大将を引き受ける。おのれの勘と才覚を頼りに、場当たり的に幕末維新から明治の騒乱の中をたくましく生き抜いた“怪態な男”の浮枕を描いた、異色の上方任侠一代記。
本のあらすじで(ダブっているが)こんな風に書かれていた。
明石屋万吉(小林佐兵衛)の木像
小さな木像
今の時代にはいない、幕末を損得抜きで生きぬいた人物伝で、司馬遼太郎著である。フィクションも多いと思うが、それを差し引いても痛快な人物らしい。さっそく妻が本を注文した。子どもの頃の「どつかれや」というのが凄い。ブックレビューなどを読んでいると、少し気持ちが晴れてきた・・今はどう対応しても正解のない時代だが、よけいに人の心の裏が見え隠れする・・のかもしれない。
はじめにこの大きな木像をみたときは、何なのだろうといぶかしかったが?会って見たかった人物である・・頼りがいがあっただろうなあ・・小さなことでもメソメソする根性の無い自分には、あこがれの人物である。といっても今の時代の男に多い強がりの見栄っ張りでなくて、腹がすわっていることだけは確かである。
東日本大震災の被災者、亡くなられた多くの人のご冥福を祈る・・毎日々々ニュースを見ていると、からだのどこかで常につらいものがよぎる・・
普段の暮らしや生きる足元が、こんなにも脆いものかと思ってしまう・・
宝塚聖天には零戦墓地もある。
壊れかけたお地蔵様があった。
高台の上の鐘楼のところに鳩がいた。
宝塚市内を見渡す
いかにも古めかしい風景、昔の名残は暖かい。
ここには特攻隊で散っていった人を祀っている記念堂がある。門があいていたので入らせてもらった。私の実家の方にお墓がある、関中佐の遺影もあった。
ミモザはまだこれからだったが、それでも鮮やかな黄色だった。
ふとみると、桜の蕾である。何故か涙が出そうになった・・
駐車場に戻ると、近所の飼い猫がじべたにひっくり返って遊んでいた。
帰りに小林(おばやし)のいずみやに立ち寄って買い物をする。その前にパン屋さんに入りおやつを食べる。
先が読めない時代になってきた・・こういうときは我が身大事に走るのもしょうがない面があるが、どこかで自分の保身にブレーキをかけることも大切な気がする。立派な人間になる必要もないが、心の片隅で、勤皇も佐幕もあるかい!往来安全を通した(もちろん司馬遼太郎さんの創作でフィクションだが)明石屋万吉(小林佐兵衛)の心意気を、体全体は無理でも小指ででもささやかに持っていたい・・
冴えないが、冴えない自分をまっとうして暮らしていくしかないのである・・