今日は朝からH君たちを呼んで、将棋を指す。久しぶりだったが、こちらもバテた。夕方までみっちり将棋漬けとなる。

 産経新聞夕刊(8月20日)に掲載の「棋怒哀楽」、今回の題名は「五十の手習い」で、車の免許とホームページ、ブログの話だ。担当のHさんがいい人なので、気持ちよく原稿が書ける。自慢にもならないが、いつもだと四苦八苦する原稿が1時間もかからないで書くので、やっぱり気分の持ち方ひとつで違うものだなあ。

 夕食はH君のお父さんと、久しぶりにロイヤルホストに行き、雑談しながら肉を食べる。私は昨年末からタバコを止めたので、喫煙コーナーは久しぶりだ。タバコを吸っていたのが遠い昔の日のようだ。あれだけ好きだったのが嘘の様に、ある日突然止めた。止めると宣言しないで止めた。でもタバコの匂いは今も嫌いではない。

 セキで喉が痛くなったのが止めようと思った原因だが、タバコを止めるとき考えたのは、一日で1時間くらい時間が余ることで、さてどうしようかと思いをめぐらした。また、喫茶店に行くのがつまらない気がしていたが、あんまり関係ないようだ。頭の中で整理していたので、禁煙の苦しみは全くなかった。タバコをやめて、その時間を詰め将棋創作にあてることにした?からだろうか。(ウソです)またいつか吸うこともあるかもしれない・・

 不思議な理屈で自分を納得させたが、次はダイエットかなあ。これはまだ頭の中で整理できていないので、ついつい食べてしまう・・せっかく1キロ減っていたのだが、外食をすると戻ってしまいそうだ。

 自分の行動が自分でも不可解なときもある。私はせっかちで我慢心がない。人に甘くはあってもやさしくはない。好き嫌いも激しいのである。しかしそういう自分の性格も、カメレオンではないが、時と場合によって割と平気で変えられる。

 おそらく生きるためなら恥も外聞もないだろう。プライドもへったくれもない。生き抜くためなら、信念も曲げるし何でも捨ててしまう。自分に実体はないのかもしれないと思うこともある。一分(いちぶん)があるようでない、ないようであるのかもしれない・・