昨日の柏原の「おさん饅頭」

 今日は午前中、箕面のSSOKに行ったが、途中で定休日に気がついたが、すでに遅かった。前回と同じミスをしてしまう。仕方がないので、またヴィソラに行く。ここは駐車場がわかりにくくて、今日もUターンして入る。どうして入り方が明快でないのか不思議である。着いてすぐに昼食にする。珍しく肉を食べた。その後で妻の買い物に付いていくが、30分くらいが限界で、待っている間、本屋に入り来年の手帳やら、物欲しげに液晶テレビを見ていた。

 ぐったりして帰宅するが、途中でダイエーに立ち寄り、今度は私の冬物の衣類やパジャマも買う。初めに私が目星をつけて、妻を呼んで意見を聞くが、たいてい拒否である。どうも冴えないのを読まれているようだ。それでも季節変わりのときに買い物に行くのは、けっこう楽しいものがある。作年は冬のセーターがどこに行ったのかわからなくて、今年の夏に洋服タンスで大量にみつかった。呆れた。

 スーツもお腹が出てからは着れないものばかりだったが、1キロくらいやせただけで、着れそうなのだ。タバコをやめて、体重も減らして、肉でなくて菜食の山羊の生活をすれば・・いいのだが、そうはいかないかなあ。反動が恐いのだ。私があまり健康紳士になっては、不気味である。どこかで崩さないとバランスが悪い。堕落論も必要なのだ。

 帰宅してウトウトしていると、源さんに思いっきり突かれて起きてしまった。横ではトビオがイビキをかいていた。平和な時間が過ぎて行く。たまにはテレビや新聞を見ないで、情報なしで暮らすのもいいかもしれない。海外旅行をしていて日本語を聞かないでいると、また何か見えてくるものもある。私が外国に行きたかったいちばんの理由は「日本語を聞きたくない」からだった。意味不明の言葉が念仏のように聞えてくる世界は、ある意味で心地よかった。知らぬが仏である。

 意味が通じても、気持ちが通じない方がつらいものだ。今日も駐車場で、運転手同士が怒鳴りあっていた。急に強引にバックして駐車しょうとする車と、後ろにも車がいるので、下がれない車同士の、つまらない罵り合いだった。お互いに少し譲ればなんでもないのに・・車でイヤなのは、諍いや事故のときなどの、非人間的な行動、言論パターンに触れることだろうか。先に謝ったら損、一歩も引くな、そんな価値観がつまらないなあと思う。

 勝負も同じかもしれない。そんな甘っちょろいことを言うから弱いのだろうなあ。生存競争のきつさと、人間らしい、やさしさは、時として矛盾がある。きれいごとの世界と実際の生身の世界の差だろうか。譲る精神と軟弱さは相通じるものもある・・強くあれという教えは苦手である。強い者は強さを誇示したくなるイヤな習性があるように思う。 弱くて何故いけないのだろう。私は弱さの結晶で、強さを吹き飛ばすのが好きだ。それも強さへのあこがれだろうか?

HIROの夜の景色