3月11日(木曜)の日記
金太郎は毎朝やることが違うようで、新しい遊び場を見つけて、何度もしつこくいたずらしようとする。それを阻止しようものなら、怒って指を噛みに来る。しかしそこで弱みを見せないのがコツ?である。
こういったちらしを渡してはぐらかしにいく。金太郎にとっては人間に必要なものだろうが、そうでないものだろうが関係ないのだ。それでヒヤヒヤする。毎朝部屋に出すのはトビオ、クロ、チビの餌やりやゴミ出しの後だが、人間の行動を妙によくわかっている節があるのだ・・
チビは寒さが和らぐと同時に回復した。お腹がすいて食べ物がほしいときに、ここに来る。だからカーテンを閉めないで日夜開けているのだ。グイと窓に近寄っているのは本気だ(餌がほしい)
チビの小屋の中の毛布や古着を日光浴させる。チビが向いているのは玄関の扉で、これも餌をねだるアピールの一種である。よく動くようになってよかった。チビのたくましさは素晴らしいものがある。
伊丹に出かけた。蔵寿司に入ってから、伊丹を散策する。昔41年前に住んでいたのだが、この様変わりは浦島太郎である。しかし何度も来て思い出していると、徐々に記憶が断片的に蘇ってきている面もある。
以前きたときはネコがいた。
地蔵様は過去から今までを見てきた・・
記憶を呼び戻そうとしてもなかなか・・である。ただ自分の将来が見えなくて暗澹たる思いと、このあたりは工場ばかりだったような気がする。
川に鴨がいた。ひっそりといた。
過去を遡るのは、今を見る作業でもある。
日々の暮らしの積み重ねも10年ひと昔で、40年はすでに消え去る昔なのだろう。
工場もきれいになった。でもかっての経済の発展はどこへいったのか・・今の時代の景気の悪さは深刻をこえているようだ・・数字だけでは計れない・・モヤモヤしたものがある。
下町の景色
この通りは歩いたはずだ・・
Y字路
ここはかって商店街だったはずだ・・と思うが自信がない。
しっかりと弟子に聞かせたい言葉である。
阪急伊丹駅に行く狭い通りだった。
かすかに残る家構え
裏通り
以前に来たときも撮った風景・・
阪急伊丹駅
懐かしいという気持ちだけでなくて、今の世相が見えてくる。どの業界でも生き残るのは大変である。
卒業式を終えた中学生が自転車で大勢いた。花束を持っている。
公園のモニュメントと空
昔よく歩いた裏道が残っていた。
後悔しないで生きることは難しいが、後悔してもしなくても月日は流れる・・
帰宅して子ども教室のテキスト作成の作業をする。現実的だ。