今日は(4月21日水曜)午前中、ブログの更新をした。なかなか手が回らないので、日記を入れるのが精一杯のときもある。何年間かホームページを作りブログを更新してきているが、あまり深く考えたことはなかった。ひたすら好奇心の赴くままに面白いから続いているのと、日々の日記代わりでもあるのだ。

 どんなことでもそうだが3年間がひとつの目安で、区切りの意味もあるが、いろんなことを見直すようになる気がする。とっくに3年は過ぎているが、いつのまにか自分の実力だろうか、多分中身のなさだろうか、淡々とした習慣で更新している面もあるようだ。

 大切なのは常に自分が何に目を向けて、何を継続していくのか、何を見直すのか・・そういった自分へのゆさぶり?である。いろんな思いがあって当初と異なることは当たり前なのである。初心忘れるべからずがいいのか、日々心新たに意識を変えていくのがいいのか・・常に出題されるテーマかもしれない。

 知らない間にどこか頭が固くなって、自分の世界に浸りすぎて、価値観を見直すことができにくくなる。外国に旅をしたくなるのはそういうジレンマを持ち合わせたときである。自分を見知らぬ国にポツリと置いてみると、自分の立っている位置と行くべき方向が、かすかに感じてくるものがあるような気がする。

 金太郎の日向ぼっことチビである。

 この風景を見ていると、自分が日々何をしたらいいのか、ひとつの確かな答えがあるようだ。多くを望まないで、自分のできうることを見極める・・

 人と関わるとズレが多くて、気疲れしてしまう面がある。自己中心的に生きていくのがある意味では楽なのかもしれない。最近は怒鳴りつけたいことがあっても、気持ちの方が萎えてしまって、空を向いてしまう。自分の考えをぶつけても自分に跳ね返ってくるようだ。それもしょうがないのが、今の時代のきつさだろうか。たくましさは我慢の貯金か?わけがわからん・・

 今の時代は、相手の弱点は徹底的に攻撃する、自分の得は徹底的に追求する、そういった単純な構図なのかもしれない。だから優しさがヤワなことになってしまうし、身勝手がある意味で強さに転化しているのだろう。逆なのだ・・

 日々の積み重ねでゆがんでいかないように暮らすのは、けっこうきついものがある。知らない間にゆがんでいる自分が見えていないのかもしれない。

 名人戦は羽生名人の連勝。三浦八段の巻き返しに期待したい。

 深夜にふと年齢早見表を見て、気がついた。今年の誕生日以降、自分の年齢を間違えていたようだ・・59歳と思っていたが58歳だった。少し得をしたような気分になった。35歳のときにもあって、一年間36歳と思っていたのだ・・得した一年間を大事にしよう。