昨日は(5月12日水曜)午前中原稿の仕事をする。少しゆったりした時間が持てたので、ブログの整理もした。この頃は頭がぼやけてきたせいか、昨日のことも記憶が薄らいでしまっていることがある。不安なことやあやういことをあえて忘れてしまう、これは単に頭が鈍くなっているだけなのだが、これも自分の保護本能なのかもしれない。

 晴れ間が見えたので金太郎を窓のそばに置くと、曇ってしまい、日向ぼっこにはならなかったが、外の空気や音が新鮮みたいだ。金太郎は耳が敏感で、こわがりのせいか、小さな音でも反応する。

 竹内三段が来ているので襖をしめて、居眠りする。金太郎は窓を閉めたが、ケージからの風景が少し違うのでやや緊張している。金太郎はどんな場合でも初めはかなり慎重で、二回目から徐々に様子をうかがうようだ。

 まだ頭がすっきりしなくて、きちんと仕事に取り掛かれない。小さな疲れの蓄積のようである。こういうときは精神的なものも微妙に影響する。でも心身の調子が万全のことはほとんど少ないかもしれない。不安定な状態で何かを抱えて、順番にこなしていかないといけないものなのだろう。

 私の場合は性格を自己判断すると、ノー天気さ60パーセント、神経質さ40パーセント、責任感70パーセント、身勝手度80パーセント、社交性20パーセントと思う。

 夜はHIROに行く。このところ冬服体制に戻っている。寒いと店も人が少なくなるようだ。春の季節に晩秋の寒さのようだ。それは今のいろんな状況に似ているのかもしれない。

 参議院のタレント候補が多すぎて、むしろ白けてしまうムードが出ている気がする。これだけ今の暮らしや将来の不安を抱えて切実なのに、政治と現実の生活にギャップがありすぎるようだ。これは政治家がダメなのだけではなくて、土台がぐらついている証なのかもしれない。もっと深刻な気がする。

 政治の世界にヒーローはいらないのだ。もっと地味な人を信頼して任せるべきなのだろう。政党もいらないのかもしれないが、現実は何らかのしがらみがまとわりついて、団体に属するしかなくて、個々の良心や誠実ということばを消してしまうのかもしれない。政治に正解はなくて最善もあやうくて、ほどほども心配で、多数決のもとにゲンナリの世界に突入しているのだろうか。

 完璧さを求めないで、バランス感覚の良さを発揮してほしい、そんな政治が求められると思うのだが。考えのズレをとがめあうのでなくて、一致点を探る、それが大人の社会だと思うのだが。理屈はそうでも現実は・・どういう選択枝になるだろうか・・