昨日は愛媛に帰省した。一昨日に天気と母と私の体調を見て決めたので、いつも急な帰省になる。

 いつもよりも早めに出発して(7:30)休憩も二回のみで(いつもは3,4回くらい)10:30頃に着いた。朝が早いと高速も仕事の車が多くて、やや混んでいたが、瀬戸大橋を渡るあたりは空いている。高速料金は片道5000円で、以前からすると半額だが、土日料金1000円からすると高い。

 政治と暮らしが直結していると感じるのは、こういうときだろうか。

 着くとスグに少し休む。5分でも10分でも大きい。私はどこでもスグに寝てしまうのが武器でもある。母は世話焼きの方で、〇〇はいらんか?〇〇しようか?としつこい。私はたいてい「いらん」のひと言だったが、最近は緩和してきた?

 一休みしたあとで、母が週に2回通っているデーサービスに向かう。以前はここで指導対局をしたこともある。母がカラオケで歌っているのを聞かされたこともある。

 用事を済ませて、いつもの店で昼食にした。妻と母は釜飯天ぷら定食で、私はステーキ定食だった。

 市役所に立ち寄った。私の父の戸籍に関して聞きにいく。「戸籍だけ残っているようですね。そのままだと130歳?くらいで抹消します。失踪届けを出されますと、7年後に戸籍が抹消されます」とのことだった。近くの裁判所に届け出るようだ。私は父の顔もし知らないので、今となっては不思議な気もする。

 待っている間にこのちらしが目に入った。四国中央市が舞台のようである。

 初めてのスーパー〇〇に行く。屋上の駐車場に車を止める。今日は靄がかかっていて、すっきりしない天気なので、どこかに出かけるのをやめにした。

母はせっかちで買い物も素早い。子どもの頃は、昼食、夕食時間に家に戻り、食事の支度をしてから、また仕事に出かけて行った。多分自分が食べる時間はほとんどなかっただろう。

 私は母の背中を見ながら育ったのだが、理屈よりも行動ありきだったのが、無意識に体で覚えたことだったかもしれない。母は口惜し涙で知人に愚痴っていることもあったが、明るいので次の日はたいていケロッとしていた。めげないものがあるのは鍛え上げだろう。

 子どもの頃の環境で、私は同情されるのがいやなので、人にも決して同情はしない。どんな人間でも対等に向き合うこと、それが無意識に身についたことのように思う。

 兄のお墓に立ち寄った。車がビュンビュン通る国道沿いなので、賑やかでいいかもしれない。ずっと昔は海岸べりの松林の中だった。

 

 ジャジャうま市に立ち寄った。ときどき野菜や果物を送ってもらっているが、道の駅みたいである。ほしいものがいっぱいあった。安くて質がよくて雰囲気がいい・・今はほぼこの条件が揃っていないと、消費者にたちまち見放されてしまう・・自分が買う側から売る側の立場になれば、また違った見方も出来ると思うが、今はそんなやさしい社会ではない。

 

 このあたりは昔は潮干狩りも出来た海だった、埋立地である。数十年の時の流れは容赦ないものと、じわりじわりの変遷があまりにも予想だにしない現実となっている。

 こうやって自分が冴えない?浦島太郎となって、次の時代がやってくるのかもしれない。

 ジャジャうま市の前で記念撮影をするが、このポーズはよしもと新喜劇のようである?

 靄がかかっている風景。私は犬のメリーの散歩でこの山並みの風景をずっと観ていた。

 家に帰って一休みする。そろそろアジサイの季節である。

 またゴロリンとする。今日はいつもよりももっと早めに帰ることにした。前回はちょうど時間帯が悪くて、渋滞に巻き込まれたのだ。

 帰るときに挨拶していると、偶然に近所の母の仲良しグループのみなさんが揃ったので、記念撮影をする。ありがたいことで、とってもうれしい。

 途中で夕食休憩をしたが、3時間40分くらいで、20:10頃に着いた。夕食は阪上二段に任せていたが、金太郎がキョトンとして迎えてくれた。