昨日は臨時総会の日だったが、私は委任状を預けて欠席した。内に外に悩ましい時代だが、長い年月の間にはいろんなことがある。ともかく自分のできる範囲のことで、日々できうるベストを尽くしていくよりないのだろう。

 自分が少々荒んでいるせいか?世の中や人間が荒んで見えるのは困る。まっとうなものもいっぱいあるはずだが、そういうものほど静かな暮らしの中にあるのかもしれない。なかなかおおらかさを持ちにくい時代でもある。でもこれも自分がおおらかでないせいでもあるのだろう・・

 秋から冬になると、庭に日が当たる時間が限られてくる。ちょうど昼過ぎに金太郎を日向ぼっこさせることにした。初めは怖い表情で無言だが、しばらくして「トビオハ?・・」とポツリ。これは私や妻を呼ぶときの声だ。

 最近はツイていないことが多くて、こういうときは流れが悪い方に傾きがちである。いじけたりすねたり、ひがんだりして滅入る精神状態になる?でもこれも何かのバチが当たったのだろう・・私の場合は常に原因は自分に目を向ける習性がある。どこかでそう思うのだが、こういうときに心のスキをつくように?街角で幸せになりませんか?と言われると「私は幸せよりも不幸とともに生きて生きたいので・・」と言ってしまい呆れられるのである。

 幸せという言葉はあっても実体はないものだ。ほのぼのとしたものや、かすかなものや、つかの間のいい心地で幸せを感じたりするようにも思う。<幸せにはひとつの顔しかないが、不幸には様々な顔がある>こんな言葉があったかな?

 金太郎を入れて、出かけることにした。最近は金太郎やチビ、トビオ、クロのことがあって、なかなか遠出が出来ない。ミニ動物園のようでもある。もっと飼いたいのだが、動物を飼うのはエネルギーも必要なので今は無理のようだ。

 いつも園田競馬に行くときに車で通っている伊丹あたりのところで、気になるあたりを散策した。陽だまりのさりげない風景だ。

 

 秋から冬にかけての花は、可憐さともの悲しさがある?

 黄色は元気な色彩だ。

 風呂屋さんの煙突が見えたので、行ってみる。こういいうとき、自分がここに住んだらどんな暮らしをするだろう・・そう考えて歩く。あるいはこの舞台でドラマを作ったら、どんなストーリーだろう?そう考える。

 陽だまりの公園には、子どもが二人遊んでいて、車椅子でかがんでいるおじいさんがひとりいた。初冬の雰囲気もある。

 静かなアパートが多かった。

 何かの教会のようだった。

 ワルツを踊っているような花だった。

 バス停が見える。車ばかりでバスに乗らなくなると、街が雑に見えてくる。

 いらっしゃい。

 ここもバス停だ。おじいさんが待っている。その左上のかすかにのぞく看板がよかった。

 2.30年前のような?風景の多い街だった。澄んでいる人や風景はさほど変わらないが、時代が変わっているのだろう。自分の心が変わったのだろう。

 車を止めていた薬局で買い物をして、帰る。

 清荒神に戻り、参道のパン屋さんに行く。最近はここのバゲットが大好きでしょっちゅう通っているのだ。不器用そうな店のマスターと妻が音楽の話をしている。私はついていけないのだが、これも2,30年前の音楽のようだ・・

 近くの雑貨屋さんの店先である。

  吊るし柿 思い思いの 皺つくる(しわつくる)とあった。

  陽だまりに 消えては浮かぶ わが身なり ←森信雄

 夕方、T6級から電話があり、それならと家に呼んで将棋を指した。私の方も終盤はヨレヨレだったが、何とか食いついて将棋を指してほしいものだ。食いつくのでなくて、喰らいつく気持ちだろうか・・

 終って夜にHIROに行く。G1エリザベス女王杯が近いので考える。

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