☆台風11号 土曜コース お通夜 8月9日

黙ってこうされると気づくと驚いてしまう

 台風11号が接近してきたが、土曜コースは一応開けていた。

 いつもよりも集中している?指導対局は弟子が遠方で欠席なので、私がする。

 以前はいつも私が指導だったが、全体の雰囲気を守るために?変更した。

 私が指導対局に専念できるのが理想である。いっぱい教えたいが今は子ども達も他の習い事や塾があって、忙しくて将棋だけと言うわけにいかない‥

 ここから3五歩でなくて、5五歩、同歩、5六歩、同銀左、5五銀左とぶつけるのが攻めのセオリーだが、なかなか難しい手順なのだ。有段者では当たり前でも、実際は知るのでなくて身に付けるのは至難である。

 これを明快に指導できるかどうか‥(身に付けさせる)自信がない。

 終盤戦で、あっさり上手勝ちに見えるが、手順を尽くせば下手勝ち。銀を持てば上手玉に詰みがあるのがヒントだ。5二金、同成銀、同金で5三歩なら4三金、同銀成のとき6七成銀、8八玉、7九銀以下詰み。

 午後からは「土曜教室」だったが、少し早めに終わらせてもらい、伊丹将棋センターの梶井博さんのお通夜に二台の車で向かう。

 神社の境内が臨時駐車場だった。

 18時からお通夜が始まった。顔なじみの伊丹将棋センター・アットホームのメンバーの方も来られていた‥梶井さんの娘さんの結婚式で私がスピーチさせてもらったことを思い出した・・

 喫茶店が好きだった梶井さんと、よく待ち合わせて相談事をしたりしたことが多かった。「もっと早く森先生と知り合えればよかったですわ・・」「そうですね‥私も同じですよ。梶井さんともっと早く将棋のコンビを組みたかったですね‥」

 伊丹将棋センターで子ども教室を始めたのも、梶井さんの人柄に私が惚れ込んだからである。

 ご家族の中では梶井さん流の我?を通されてきたようだが、人にやさしい梶井さんはお孫さんもいっぱいいて、その話になるといつも頬がゆるんでいた‥

 私の勝手さで途中から木曜入門コースを手伝ってもらっていたが、とにかく理屈よりも体の動く人だった。梶井さんは子どもを叱るのは苦手でそれは私の役目だった。

 冬はストーブで焼き芋を子ども達に配ったり、昔風の人間味あふれるタイプでもあった。

 謹んで御冥福をお祈りします。

 お通夜から戻り、金太郎と遊ぶ。