病院の談話室にて、水津さん

 昨日は堺に行ったが、深夜、サーバーのメンテナンスと、私が眠気に襲われ日記を書けなかった。朝早く目が覚めた。

 インドネシアの旅を終えたばかりなのに、東京から深夜バスで来られる田中真知さんと待ち合わせで、朝日会病院に行く。ちょうどヒゲの和田さんが空き缶回収の仕事を終えて見舞いに来ていた。「ちょっと安いけど、近くの業者に売ってきました」

 すぐに田中さんが来られて、珍しい顔ぶれが鉢合わせとなった。和田さんはすぐに引き上げた。病室から談話室に移る。

 田中さんの携帯から旅仲間に電話しているときに、思わず涙ぐんでいる水津さん。初めて見る光景だった。何かの依頼を終えて、ほっとされたようだ。お年寄りが増えてきたので、隣の談話室に移動した。水津さんの声がかき消されるように、隣の部屋では楽器の音と童謡の歌声が聞こえてきた。娯楽の時間だったのだろう。私はここ数年、身内も含めて病院に行く機会がめっきり増えたが、独特のにおいになじんでいる。病気と向き合うことは、日々を大切に、そんなメッセージでもあるようだ。

 昼食は田中さんと妻の三人で、先日行った松島食堂に入る。途中のコンビニに子猫がいた。追いかけると荷物置き場に入り込み、チラリとこちらをのぞいている。昼食の後は、喫茶店に入る。ここもなじみの店になってきた。そこで田中さんにアフリカの話を聞きながら、PCで旅の写真をみせてもらう。

 ボルネオ、バリ島、イスラエルと旅心を揺さぶられる風景を見ながら、一枚一枚丁寧で深みのある写真に感動する。旅の写真家大崎学さんの写真をみせていただいたときもそうだったが、世界は広くて謎だらけである、そんな思いをますます深くする。

 病院に戻る途中で、飛行船に出くわす。何かの宣伝の文字が書かれていたが、読めない。病室に戻ると、水津さんが身支度を整えているので唖然とする。郵便局に寄ってから自宅に帰る準備だった。外出許可証を手に、旅の戦闘?モードである。さすがにしばらく休んでからにしましょうと説得する。

 また三人で出かけて、先日から気になっていた喫茶「一二三」に入ることにした。昔ながらの看板と店作りで、興味があったのだ。店内はスナックのような雰囲気だった。

 病院に戻り出発する。水津さんの団地付近で郵便局に立ち寄ってから、さあ団地の階段を上ることになった。健康な人間でも四階の上り下りはきつい「五階だったらエレベターが付くんですわ」水津さんは他人事のようだ。田中さんが水津さんの腰の付近を押し上げながら、一歩一歩上っていく。千里の道も一歩から、そのものである。

 部屋に入り、一息つく。またしばし歓談して、田中さんが携帯で旅仲間と連絡を取り、水津さんに交代する。受話器を通して相手からの元気な声が響き渡って、水津さんを激励する気持ちが伝わってくる。淡々と応えながら、時折涙ぐむ仙人。

「非常電話を断らないといけませんなあ」私が先方に解約の手続きを聞きながら、言うとおりに「線を抜く」と通話が途絶えて、けたたましい非常ベルがなってあわてた。ガス、電気、水道、いろんな整理をこまめに説明する水津さんは、どこまでも淡々と、自分を、そして世の中をみつめているのである。

 水津さんを病院に送ってから、堺東に出て食事をする。田中さんは深夜バスで帰るので、時間がたっぷりあり、てっちりを食べながら、いろんなお話を伺うことが出来た。数日後にまたエチオピアに旅立つという田中さんは、作家で編集者だが、今なお現役のバックパッカーでもあるようだ。再び写真を見せてもらう。中国の客家(ハッカ)、エジプトの砂漠の中に暮らす修道士の話と写真は、印象的だった。

 堺東の駅で別れて、帰宅する。家についてまもなく眠気が襲ってきて、二階に上る。あれよあれよの一日が過ぎた。水津さんにとっては、忘れ得ない日となっただろうと思う。私はひと仕事終えたような心境で、ぐっすり眠れた。

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