今日は関西将棋会館に用事があって、妻と一緒に出かける。終わってから、福島、大淀界隈を散策することになった。いわば「聖の青春」を歩くである。7月に行なわれる「聖の青春」静岡公演のプレイベントで、6月に私が静岡に行くことになっていて、フラリと歩いてみたくなったのだ。

 福島6丁目。初めに腹ごしらえで、シューマイ定食を注文する。久し振りだったが、うまい。

 村山君と住んでいた「旧市山ハイツ」もちろん同じ敷地なのだが、面影もない。過ぎ去った日々、夢の如しである。記憶も薄らいでいくので、思い出しことを書きとめておこうとも思う。

 この辺で「聖の青春」のテレビのロケもあった。昔、将棋好きのマスターのいる喫茶店もあったが、なくなっていた。昼食どきで混んでいる。

 大淀南公園、昔、村山聖が自転車の練習をして、転んでケガをして「二度と自転車には乗りません」と言ったその公園だ。今もその姿は焼きついている。初めは張り切っていたのだが、今思うと、余計に可哀想なことをした。健康な人には健康でない人の心はわからないと思います・・その文を見たときに、つらい気持ちになった。

 大淀中学校、村山君が(山崎七段も少しの間)通っていた。保護者懇談で、行ったこともある。欠席が多かったので、担任の先生には迷惑を掛けっぱなしでお世話になった。

 昔と変わらないリック姿の中学生。村山君にはリックが大きかった。村山、山崎、ふたりとも学校は好きではなかった?ようだ。

 宝塚に来る前に、私が住んでいた「大淀ハイツ」で、市山ハイツで地上げにあって、ここに移った。村山君には合い鍵を渡していたので、いつでも入っていいと許可していた。夜中にガチャガチャと入ってきたこともあった。

大淀の市場界隈

 大淀南交番前の交差点。関西将棋会館からの帰りで、村山君は前田アパート、私は大淀ハイツと分かれ道だった。たまに「来るか」と誘って、詰め将棋の検討や頭を洗いに来ていた。

浦江公園。前田アパートはこの奥にある。

 今日も三谷工業の人がいて、挨拶をかわす。二階の真ん中が村山聖の部屋だった。私は自転車で、ビデオを返しに行くとき通った。電気がついているとほっとしたものだ。村山君の部屋に入るときは、たいてい体調を崩したときだったので、意を決して階段を上ったものだった。

更科食堂ではなく、福島食堂。

 ライラックマンション。村山君の研究用の部屋で、震災のときは家族で世話になった。その後で、東京に移籍した。他の弟子と一緒に、引越しの準備をしたことが懐かしい。漫画が多かった。(雑誌など、内緒で捨てたのもある)

 シンフォニーホール前の公園、ふたりで何度歩いただろう。紙袋を提げた村山聖の姿が焼きついている。ときどきバッタリ会うこともあった。

 何も用事がないときは、ここで別れた。トボトボと歩く姿を見届けて帰る。村山君の行動範囲は限られていて、前田アパート、関西将棋会館、大淀ハイツ、書店、食堂、その半径1キロ界隈がテリトリーだった。そのどこかに行けば見つかるのだった。簡明な生活だった。余計なもののない暮らしだった。

 福島、大淀と歩いてから、スカイビル、ウエスティンホテル方面に行く。途中で、風にあおられている赤いバラに出会った。一面の赤いバラだった。