昨日は対局だった。棋王戦の予選で脇謙二八段戦で負け。私の三間飛車に脇八段の急戦で、意表を突かれたが、持ちこたえたと思ったが、結局押し切られた一局だった。序盤の雑さをとがめられた。「脇さんだから、負けてもいいやと思っていたでしょう」帰宅後に妻に鋭い指摘を受ける。「終わってお寿司をごちそうになったから」とわけのわからないことでごまかす。終盤はひょっとしたら逆転と思ったのだが・・足りなかったのだ。将棋は負けるとくたびれる。

 帰宅して、伊丹の昆陽池の「阪神淡路大震災追悼の集い」に出かける。例年は深夜に出かけるのだが、明日も予定があるのと、妻が風邪なので早めにした。ボランティアの学生や中学生がいて、元気な声で「記帳をお願いします。寄付もお願いします!」「ローソウを作って下さい」深夜と雰囲気が違う。

 ローソクのシンを貰い、10回くらい並んで手作りの小さなローソクが出来た。そのローソクを持って追悼の広場に立てる。昨年は小雨交じりで、ローソクの灯が消えかかっていた。「消したらあかん」小さな声でつぶやく声が印象に残っている。今年は寒さも穏やかだし、天気もいいので、澄み切った追悼の集いのローソクの光景だった。

 震災で亡くなった船越隆文君は、九州男児らしい風貌で、真面目で意思の強い子だった。弟子の中ではいちばん信頼できる人間だった。お母さんが出版された「棋士になりたい」の本は、月日が経つごとに、私にとっても貴重な財産になっている。自分が生きている間は、くじけるわけにいかないのだ。叱咤激励されているような気さえする。でも月日が経っても、やはり悲しく重い体験はつらいものである・・

 震災前のクリスマス、平成6年12月24日。在りし日の船越隆文君、17歳。私が弟子をこんな風に撮るのは滅多にないはずで、不思議な一枚でもある。アルバムを見ていると、震災前の1月12日にも船越君が家に来て撮った写真があった。今も、前日に玄関先で船越君と話した会話が蘇る・・