午前中は、子ども日曜コースAだった。欠席が多くて16名出席だった。静かなままでいけるかなと思ったが、途中から崩れる。妻にも写真と雰囲気をみてもらっていたが、カミナリが落ちた。どちらかいうと学年の上の子の方が冴えないのは困ったものだ。私は将棋を教えるのは好きだが、叱るのは本来苦手である。でも教室の雰囲気を保つにはしょうがない。早く、将棋に熱中モードになってほしい。

 

 そろそろ卒業や進級のシーズンで、子ども教室も減ったり増えたりする時期となる。長く通ってくれた子が辞めるのは、さみしいものだ。でも、また何年かして、どこかでバッタリ会ったり、いつか将棋を指すことを復活する日もあるだろう。自然に流れるままの選択がいいなあと思う。

 将棋を始めて、指せるようになって、面白くなる。この間の時期の指導法が難しい。楽しさと上達は必ずしも正比例ではないが、密接な関係にあるものだ。上達だけが目的ではないが、上達の方向にむかって取り組むことによって、楽しさも倍増する面もある。今の子ども達の特徴(弱点)は「おしゃべり」である。おしゃべりをやめて、きちんと将棋を指す、また考えて話すようにすれば、将棋も人間も強くなるだろうと思うのだが、どうだろうか?沈黙に耐える精神力が大事なのである。

 午後からは日曜コースBで、こちらも欠席が多くて8名出席だった。指導対局もじっくり指せたが、中盤での急所の局面でやはり間違えることが多い。どこを指摘すればいいのか、一局の敗因もそうだが、総合的なアドバイスを兼ねるのがいい。おそらく「漠然とした読み」から「明快な確信の読み」の間を入ったり来たりしているのである。大事なことは、知っていることでなくて「テクニックとして使える」ことだろう。知識でなくて、習性、日課みたいなものである。

 子ども教室が終わり、ぐったりする。しばらく休んで、外食で「源ぺい」にいく。焼き鳥、寿司、ちゃんこ鍋を注文した。メニューにきりたんぽ鍋もあった。それからHIROにも行く。いつもスポーツ紙を見るのだが、S誌の勝浦修九段の詰め将棋が楽しみなのである。私の好きな先輩棋士で、以前東京によくいた頃は飲みに連れていってもらって、随分お世話になっている。賀状にそれを書いたら「最近は創作も苦戦です」とコメントにあった。勝浦九段は盤を使わないで、創作する。私も真似たことがあったが、無理だった。毎日の出題なのに好作ぞろいで凄い。

 源さんは卵を産んでから、すっかり変身した。母親の本能が強いのだ。サークルで砂を蹴飛ばして私を呼ぶので行くと、「卵を見ていてよ」と言わんばかりに食事を始める。私を呼んで卵の見張りをさせているのだ。それからときどき外に出すのだが、意地悪して(これは卵を産まさないための手段でもあるらしい)サークルから気をそらさそうとするが、突如ジャンプした!飛べない源さんが60センチくらい飛び上がってサークルに戻ろうとするのだ。けなげな姿を見ると、さすがにサークルに入れてやるしかないのだった。

 私にも見向きもしなくなって、サークルと卵に集中している。これからどうすればいいのか?妻がしきりにネットで調べてくれたが、大変である。そもそも源さんはオスとばかり思っていたのだから・・私が腕の中に入れたり、添い寝したのも、すべて愛情表現となってまずいらしいのだ。元の源さんに戻るかなあ・・