師匠と弟子 [日記]
今日は午前中「子ども土曜コース」があるので、朝は7時の目覚ましで、5分間のおまけだけで起きた。トビオとクロに餌をやって(源さんは出してくれと鳴かなくなった)テレビを見ながら(ニュースだ)朝食にする。それからネット用の詰め将棋を作り(たいていは前夜に作っておくが)打ち込みながら、NHKの朝ドラ「ちりとてちん」を見る。ここ数日は師匠の死が迫っているのをヒシヒシと感じるが、今日亡くなるシーンだった。落語界の師弟関係と将棋界とはもちろん異なるが、(現実はもちろん、もっと違うだろうが)ちょっとさみしいものと、うらやましさを感じた。
私も師匠だが、その存在の軽さたるや・・村山聖の私の結婚式でのスピーチを思い出した。「前略・・師匠は初めは怖かったのですが、何年か経つと、軽くなったというか、友達みたいな・・まあよくわかりませんが、おめでとうございます」おいおい、友達じゃないぞと思ったが、村山流のサービス精神である。
聖の青春で、私が村山聖を足で蹴ったシーンがあって、確かゴルフをするというので、体のことを考えると無茶だから「やめろ」「やります」で頭にきた私が足で蹴ったらしい。というのは本当に記憶にないからだ、でも見ていた証人がいたので、事実なのだろう。私はゴルフを誘った人を許せなかった。村山君の体のことを思えば論外なのである。でも考えると、村山君と私は、いつも実際の殴りあいこそしないが、心の中では殴り合いばかりしてきたような気がする。自分の気持ちを全精神で傾けて村山聖に向き合わないと、半端な気持ちでは何も言えなかった。村山聖も私も、結果やレベルはともかく(きっと幼稚な戦いでもあったのだろう)真剣だったのである。それは生きていくことにひたむきな村山聖に、弟子とか師匠でなくて魅せられたのだと思う。今は、叱る気にもなれない弟子ばかりなのがつらい・・
「土曜子ども教室」が終わって、午後からは「土曜教室」だった。終わってから喫茶「キヨ」でいつものように雑談をする。さりげない話はほっとする。
夕食を終えて、休憩した後でHIROに行く。まだ外は寒い。
山崎隆之七段のブログが最終回みたいだ。「もうちょっと頻繁に書けばいいのに・・」「はいそうなんですけどね・・」といいつつズボラなパターンが山崎流である。私は弟子に限らず、あまり(ほとんど?)将棋関係のブログは見ないのだ(好き嫌いでなくて山崎流に近いズボラさからである)
1月17日の震災の日に開いた、船越隆文君の慰霊と、一門の新年会についての記述だった。読んでいてうれしかった。これから先もいい目が出るか、悪い目が出るか、それは常に未知数であり試練も多いと思うが、船越君のことを忘れずに思ってくれる心情がうれしい。今後山崎君が一生全部の将棋を負けても、(無茶な例えだが)感謝したい。
弟子もそれぞれである。私はいい師匠でも悪い師匠でもない。お互いに鏡なのである。大事に思えば大事だし、軽く見れば自分も軽い存在なのだ、そういうことなのである。イヤでも何でもそう思うしかない。それが(腐れ?)縁である。
朝のちりとてちんで師匠が亡くなるシーンを見ていて、今日はいろんなことが脳裏を駆け巡った一日だった。
今日の夕暮れ
限りある生命を意識し燃焼し尽くした村山聖棋士と、森先生と両親をはじめ、関係棋士、町の電気工事屋さんといった多くの方との、真剣でかつ温かみのある人間関係は、新鮮で印象深いですよ。
自分の場合ですが、困難な出来事の数々は、この年でも思い出せますし、
大きな栄養分になったように思います。
逆に何が楽しかったか、おいしかったかは、たくさんあるはずですが、すぐ思い出せません。森先生はどうですか?
必要な栄養分を吸収して、しっかりと生きていくのに、便利さ、豊かさが度を越えると、逆に足かせになるんじゃないかと思いますね。
by mura (2008-02-17 22:44)
mura様
楽しい思い出よりも、困難な思い出の方が記憶に残りやすいのでしょうね。
便利さ豊かさが招くものは、身勝手なエゴが多いように思います。震災のときもそうでしたが、困難、苦労からは助け合い、やさしさが育まれるような気がします。
でも、欲は欲を産み、エゴはエゴを育てるのも事実でしょうね。小さなエゴがすべての冴えない世界の始まりかもしれません。
by モリノブ (2008-02-18 00:08)