今日は(4月23日金)昼前から堺に向かう。亡くなってから4年経つのだが、旅の仙人、水津さんに会いたくなった・・久し振りに「湾岸線」に乗る。以前は水津さんのお見舞いに通っていたのだ。

 妻にデジカメを預けて、湾岸線を撮ってもらう。

 大浜で降りて堺の街を走る。何となく道順を覚えている・・

 水津さんの入院していた病院に着いた。懐かしい・・

 ここは当時はお風呂屋さんだった。

 懐かしい食堂に入る。水津さんのお見舞いに来たときによく入ったのだ。

 今日はカレー定食を食べた。

 喫茶「あじさい」当時のことが浮かんでくる。手前のコンビニはなくなっていた。

 時の流れは現在を消して、過去を作っていく

 大仙公園に行く。この公園で水津さんや和田さんと花見もしたのだ。

 堺は阪田三吉、利休、そして与謝野晶子である。

 大仙公園

 子ども達の課外授業だろうか

 仁徳天皇稜

 大きすぎて、地上からはこの全容が見えない。

ツツジがやさしい

 仁徳天皇稜のお堀、昔ながらの風景

 水津さんの住んでおられた団地に行く。階段を上って部屋の前に行くと、まだ表札が残っていた・・

 この風景も懐かしい。私が水津さんのこの団地に初めて来たのは、中国で知り合って帰国してからだ。ここでスライドを見せてもらって、写真熱をもらったのである。

 もうここにいつ来るかもわからないし、将来はこの団地もあるかどうかわからない・・思い出すと楽しい記憶ばかりだが、亡くなられる前に部屋の整理を手伝った日のことを思い出す。階段を歩いて上れないのに、自分の身辺を最後に整理したいからと一緒に来たのだ。

 それでも悲壮感はなくて、最後まで底なしの明るさと強さを感じた。水津さんは何かを越えた人だったのだ。水津さんに頼まれて預かったものも多くて、今も整理できていない。でも水津さんから貰った大切なものは、たくましく生きる・・ことだったように思う。

 日本一周した車を貰っておけばよかったかなあ・・世界一周したときのアルバムや写真は預かった・・

この後で工事のための渋滞に巻き込まれた。

 過去を思い出し、水津さんをそばに感じながらの堺行きだった。疲れた気持ちが少し癒された思いである・・「やあ森さん、いらっしゃい」もう一度この言葉を聞きたいなあ。水津さんのバイタリティーを見習いたいものだ。

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