(撮影 ルンルン)

 今日は午前中「子ども土曜コース」だった。昨日からいろいろ準備するのだが、月初めは作業も多い。数日前に子ども教室の会報を送ったが、春休み特訓教室や、4月からの土曜特別コースなど、私にしては?力が入っている。


 今日は大石三段が休みで、千田2級が代役




 10数年前に宝塚に引っ越してきたとき、近所の人から「子どもに将棋を教えてくれませんか」と妻を通じて言われたとき、正直(面倒臭いなあ・・子ども相手は苦手だからなあ)と尻ごみしていたものだった。教室は弟子にやらせばいいか、くらいに気軽な気持ちで引き受けたのだ。なるべく人数が増えないように・・そんな不謹慎なスタートだった。


 

盤面に集中

 指導も運営も弟子に任せていたので、子どもはこっぴどく負かされて、将棋を見るのもイヤ、そんな子もいたようだ。それから数年たって、何かのきっかけで、弟子に任さずに、私自身が直接指導してみよう、入門者や初心者をしっかり教えてみようか、と思ったのだ。不思議なもので、そう思うとかえって、指導の難しさにぶち当たる。将棋を教えるのは無理かなあ・・向いていないなあ・・と思ったりした。





 
 甘い気持ちは吹っ飛んだが、逆に大きなテーマができた。「将棋をきちんと教えるマニュアル」に挑戦してみようと思った。入門書を見たり、囲碁教室などを見学したり、あれこれ探ったが、ひとつの結論は「まずはきちんと体験しないと掴めない」とわかったのだった。指導するのに将棋の強さは武器にもなるが、棋力が邪魔をして弱い人の心理や気持ちが見えないことも大いにある、諸刃の剣なのだ。
 また、子どもに威張ってもしょうがないが、媚びてもだめなのだ。きちんと指導すること、言葉にするとこれに尽きる。

 
 教えるというのも種類があって、①答を教えるのは指導者が楽だ②質問の意味がわからないのと、答えがわからないのとでは全然違う③相手が理解できるように教えようとすると、益々混乱する④わからない内容には大きな幅がある⑤知ることから身に付くまでは、教える側に根気と執念がいる、こんな感じだろうか。
 こう書きつつ、実は私も何もわかっていないのである・・歯がゆいが痛感する。



 

 これは将棋に限らないが、伸びを止めるのは、案外「知ったかぶり」「実際にわかっていない」このどちらかである。両方を備えていると、悩みは深刻だ。まずは自分が「たいしてわかっていない未熟だ」「しったかぶりを止める」ことだ、そして一番大事なのは、「よそみをしない」「恥を書く勇気を持とう」ということだろうか。子ども教室の子どもたちよりも、何だか弟子一般に感じている冴えなさと通じている?・・
 「好きこそものの上手なれ、ですね」T君が見学の子どもに、激励の言葉を交わして帰っていった。私よりもいいことを言ってくれるなあ。


 午後からはいつものように「土曜教室」だったが、昼休みに居眠りをして、開始時間を過ぎてしまった!

 将棋は根気のいるゲームだなあと思う。用心しながらも冷静に、階段を一歩一歩上り下りしていく。決して三段とびはいけないが、立ち止まってもいけないのだ。

 急所は「すこしづつでもいい、わかったことを確実に身につけること」と思う。