今日は午前中、伊丹子ども教室だった。振り替えと見学でいつもよりも多くて賑やかだった。私は今朝は早起きで、すこしバテ気味である。昨晩の弟子の将棋の検討もこたえる。しっかりしてくれ・・

 午後からも「飛び駒会」でさすがにフラフラだったが、大盤解説が始まると元気になっていた。将棋自体では動じないのだが、弟子の成績や将棋の内容を気にしだすと身がもたないのだ・・頭をフル回転させてみるが、大変である。勝つのは運だが、負けるのは実力、そんな言葉があるが、勝つのも負けるのも実力のような気もする。

 負ける理由を探ると、行き着くところは努力不足や、執念不足、心がけ不足、心構え不足、体調不良など要因はいっぱいある。探しても探しきれないものだ。(皮肉である)負けが混むと本人はあせり落ち込むだろうが、負けのエネルギー(貧乏神みたいなものか)は案外日常の些細なことから、見つめなおすことが必要に思う。

 子どもは負けると泣く子もいるが、その意味は?何で自分が負けるのか、何で勝てないのか、何で強くならないのか、など様々だろう。

 私が将棋で泣いたのは、子どもの頃からしょっちゅうあるが、棋士になってもふとんをかぶって3日くらい寝込んだこともある。自分の愚かさと、運のなさに(自分の怠慢をさしおいて)神を呪う気持ちになるのだ。大方は自分の運命を受け入れたくない、受け入れられないのが原因である。でもいずれ、自分の運命を受け入れるしかないのである。葛藤というよりも、静かな負けの悟りだろうか・・人生も同じだろうか。

 負けを知り 運命を嘆き バラの花

 

 

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