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薄暗い風景 [日記]
旅の仙人、水津英夫さん死去 12月8日午前6時21分
謹んでご冥福をお祈りいたします
早朝の5:40分すぎくらいに電話が鳴った。朝日会病院からで「水津さんが緊急の事態になりましたので、ご連絡します。すぐにお越し下さい」あわてて妻を起して、堺に向かう。まだ明けていないので薄暗い風景だった。
6:50分くらいに病院に着いた。「水津さんは6時21分に亡くなられました」明け方に容態が急変して、すぐ水津さんの弟さんに連絡してご夫妻が藤井寺から駆けつけたそうだ。「40分くらいドクターに心臓マッサージをしていただいたのですが・・」奥様のお話である。
待合所で弟さんご夫妻に挨拶して、水津さんが身奇麗にして安置室に運ばれるのを待った。電話では何度かお話したが、お会いするのは初めてだった。
水津さんは眠っているように穏やかな表情だった。「水津さん」声を掛けると「やあ、いらっしゃい」と返事してくれそうな気がした。苦しみの跡が無さそうなのが救いでもあった。途中で沈痛な表情で、山崎さんも来られた。もともと今日、私達は山崎さんと、お見舞いで昼間に合流する予定の日だったのだ。
事務局が開くまで、奥様を残して、四人でいつもの喫茶店にいった。どんよりした雲は、今にも泣き出しそうな空だった。水津さんの弟さん、山崎さん、妻と思い出話や写真を見ながら、こんなにも好きなことをして生きた水津さんは幸せだった、相槌をうちながら水津さんの淡々とした笑顔が蘇る。悲しさよりも、切々とした余韻があった。水津さんの傍にいられてよかった、そんな思いがこみ上げてくる。
さみしくなるのは、これから日を追って、病院に来ても水津さんがいないことを実感してからだろう・・
市役所に同行して、弟さんが手続きを済ませ、病院に戻る。「水津さんは?」いつも気にして下さる、同室で付き添いのAさんが不安そうな表情で尋ねて来られた。私が今朝亡くなられたことを説明すると「昨日、おとといはよく休まれていて、むしろ良くなっているみたいで安心していたのに・・」ショックだったようで目頭を押さえていた。
それから打ち合わせが終わり、葬儀社まで車で付いていった。その間に知人のHさんらに連絡する。またいったん病院に戻り、ベッドの後片付けをして、御礼を言って出た。戻るとお坊さんが来られていて、お経が鳴り響いていた。
心が空白になり、淡々と時間を過ごし風景を眺める。そんな心境でたたずむしかない。
めまぐるしくて、でも水津さんらしい淡々とした一日だった。まだ亡くなったことが信じられない。この世とあの世の境目がなくて、薄暗い風景の中から、ひょっこり現われて「やあ、森さんいらっしゃい」手を挙げて、帽子をかぶり、作務衣を着て、そう話しかけて来るような・・そんな気がしてならない。
やっぱり、水津さんがいないと、さみしいなあ。
帰りの湾岸線
森先生ご夫妻が、水津英夫さん の看病に、堺まで毎週出かけられる姿と
病魔に冒された村山聖棋士に世話されていた先生の姿と重ねておりました。
弟子の聖さんは若くして亡くなられましたが、その生き様、森先生との感動的な人生模様は、私達の心にもしっかりと染み込んでいるように思います。
写真と旅の師匠である水津さんの永眠、誠意とやさしさでもって面倒をみられた森ご夫妻のお姿も、私達の心にずっと残るように思います。お疲れさまでした。
水津英夫さん 謹んでご冥福をお祈りいたします。
by mura (2006-12-08 22:05)
水津様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。モリノブ様の心中いかばかりかと拝察しています。12月8日は釈迦の悟りを開かれた日(成道会)です。何かのご縁でしょうか。
「千の風」になってモリノブ様の耳元で囁いて居られることでしょう。
by 野狐 (2006-12-08 22:07)
水津様のご逝去を知りただ驚くばかりです。森先生ご夫妻のお嘆きはいかばかりかとお察し申し上げます。思えば、私も水津様の縁で森先生とお知り合いになれたと思っており、近くにおりながら何も力添え出来なくて残念でなりません。どうかお力を落とされませんよう。
心よりお悔やみ申し上げます。
by KAIMASA (2006-12-09 09:09)
mura様
なぜ水津さんのところに行くようになったのか、記憶がないのですが、いつのまにか仙人の虜になったのでしょうね。
人を惹きつけるものは、許すということなのかなあ、そう思います。なかなかできないのですが・・
by モリノブ (2006-12-11 09:17)
野狐様
12月8日はそういう日だったのですか。確かな縁なのかも知れません。水津さんの余韻は消えることなく、心に響いているような気がします。
by モリノブ (2006-12-11 09:20)
KAIMASA様
水津さんを通じて、堺に行くようになって、愛着がわいています。これが縁なのでしょうね。不思議な、充実した日々でした。
by モリノブ (2006-12-11 09:22)