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将棋教室 子ども時代の自分 [将棋教室]

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 今日は朝から雨で、午前中は子ども土曜コースだった。昨日遅かったが、早起きして部屋の片付けと、子ども教室の準備をする。バテ気味なのはわかるが、よけいにリズムを守らないと危ない(仕事のペースが狂う)

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 午後からは土曜教室だった。少しフラフラ気味だが、何とかこなせて終わった。将棋を指すのは本能に近くて、眠りながらでも指せるのだ?

 夕方終わってから、喫茶店に行く。

 夜、母から電話があった。「別に用事はないけど・・」たいていグチを聞くことになるのだが、私は昔からこういった類のことは、柳に風、馬の耳に念仏、右から左に素通りなのである。

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 私は愛想のない子どもで(今もそうだが)子どもの頃から大人になっても母に「何かいるものはないか」と聞かれても「ない、何にもいらない」という素っ気ない返事しかしない。実際にそうなのだ。「信雄には何にもしてやれなかったから・・」妻にそういっているそうだが、私は感謝している。(母の日が近いから)母のひつこさと根性と、公平な目線は自分には、とっても影響を与えてくれたと思う。

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 ただ「写真は撮りに行くな、猪や熊がでるから」とか、「将棋は勝たんとあかんやろう」「車の運転は危ないからやめとけ」とか、いまだに子ども扱いである。げんなりして返事をしないで、知らんふりするよりない。

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 子どもの頃に、母が男の人に混じって道路で力仕事をしていて、あるとき遠足かなにかでバッタリ現場で会ったとき、母が手を振っても、私は恥ずかしくて横を向いてしまった。そのことが常に頭にこびりついていて、悔やんだ。アホなことをしたと自分を叱った。情けないと思ったが、そのときはしょうがなかった。7歳くらいのときである。

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 貧乏や職業、地位、そんなことで人を見る愚かさを、身を持って体験した事は子ども心にも薬になった。だから私は、一念発起して大物になろうとか、大金持ちになろうとか、またその逆に卑屈さや、女々しさは持つまいと自然に思うようになったのかもしれない。ひどい目にあっても、復讐することや、世の中を色眼鏡で見ることは、どんなにエネルギーを持ってしても空しいものがある。そいいう世界から抜け出て真っ直ぐな心を持つことは難しいことだが、悔しさや惨めさを涙でぬぐうと、洗われるものかもしれない。それでもイヤな人間は多い。横着なほど得をしているように思えるのも現実である。

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 病気で苦しんだり、つらいめにあったり悲しい目にあわないと、人はやさしさに欠ける面があるような気がする。うわべの言葉のやさしさとは違うので、気がつかないものなのだと思う。それはしょうがない面もある。心の中でいっぱい泣かないと、やさしさに気づかないものなのかもしれない。

 自分はどうだろう。子どもの頃はとにかくいじめられっ子で泣き虫だったが、泣きながら冷静に周囲を見ている、覚めた目線ももっていたのがいやらしい性格だ・・あまりしゃべらない子でもあったので、人の話を聞きながら、じっと見ている不気味さもあったようだ。いざとなると噛み付く武器もあった。今もそうだが、人の心の本音に興味があった。何故人は正直でないのだろう?子どもの頃からの疑問だった。大人からすると可愛くない子どもだったのである。


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コメント 6

尚武帝 なお

なぜ人は自分に正直でないのでしょうか・・・?ごもっともです。見栄、恥ずかしさ、自分を見せる怖さ?でしょうか。私はあるとき以来自分に正直にするようになりました。自分にうそをついているとそれにすぐに気がつき自分が嫌になるのです。みながそうなら正直者ばかりになるのでしょうが、多くの人は正直でないことすら気づいていないのです。言っても分からない人と関わるのが社会です。同じく分かっている人だけで生活できたらどれだけ楽かと時々思います。
by 尚武帝 なお (2008-05-11 01:07) 

mura

森先生が子供のときから、世間的な価値にひきづられることがなかったのが、これからの時代は最大の強みになるんでしょう。
やたら個人の我ばかりがふくらんできて、個人もそれで逆に苦しんで、現況にうんざりしているが、あきらめと惰性に任せているのが現実だろうと思います。やがて食にも困る時期が到来するんでしょうが、小さいころに培ったものが活きてくるように思います。
by mura (2008-05-11 14:27) 

ドクター尼子

病気で苦しんだりしないと、人はやさしさに欠ける面があるとのお考えには、大いに賛同します。
同じ医者志望でも、自分や親族が病気で医療の道を目指した人と、偏差値で来た人とでは、感受性が違う気がしていました。

話は飛躍するかもしれませんが、「霞が関のお役人は、挫折を知らずに東大を出てエリートコースに乗るので、弱者に優しくなれるわけがない。」という文を読んだことがあります。
昨今の後期高齢者医療制度や介護保険を見ていると、ほんとにやさしさに欠けていると思わざるを得ません。
日本の福祉はどこへ行くのか?老齢の親を抱え、自らも間もなく老人になる身には、切実な問いです。

by ドクター尼子 (2008-05-11 16:54) 

モリノブ

尚武帝 なお 様
 正直さはけっこう勇気がいることなのかもしれませんね。大人になっていくにつれて、ゆがんでくるのが普通でしょうか。まっすぐな気持ちを持ち続けるには、悲しみや怒り、憎しみとどう対峙するのかが分かれ目でしょうね。
 
by モリノブ (2008-05-12 10:46) 

モリノブ

mura様 
 幼い頃に直面せざるを得なかったことが、次第に自分を支えてくれる体験になっていることを思います。自分が倒れないための、心の持ち方のような気もします。攻撃的でも保守的でもなくて、崩れないように自分を支える武器でしょうね。
 ゆがんだ気持ちのエネルギーだけはいやだなあと、子ども心に思っていました。
 
by モリノブ (2008-05-12 10:51) 

モリノブ

ドクター尼子様
 今の医療制度はやさしさに欠けることが明白です。挫折を知らない人間の間抜けさと言って済まされない、怒りすら感じます。エリートの愚かさは、大人になっても稚拙さを引きずっていることでしょうか。
 優越意識と劣等感はロクなことを産まないですね。誰しも向き合うことですが、バランスの難しさを感じます。
 直言ありがとうございます。
by モリノブ (2008-05-12 10:58) 

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